自分がそうだったので。
経験してみてわかった事。
人生はこうでなくてはならない!
人はこうあるべき!
こんな思いが強ければ強いほど疲れるし苦しいのが人生。色々経験してきて、今はまぁ別になんでもいいやと思えるので悩みもない。
フェラーリを持てない人はバカと決めていた20代
普通に働いて、普通に生活していればみんなフェラーリくらい買えるんだ。
それが出来てないって事は何一つ努力をせずバカ面下げて生きている情けない人間って事なんだ。
20代前半でケツは青いのにギンギンだったあの頃はこうやって自分に言い聞かせて、大成功している人と年収150万円の自分を比べてもっと頑張れもっと頑張れ!と自分自身に言い聞かせている毎日だった。
今思えば笑えるが、当時はいろんな事やって失敗して結構痛い目にもあった。
自分自身がそうだったからわかるけれど、人生に於いて『しなくてはならない!』なんて事は基本的には無い。
自分が勝手に決めた事だけだ。
家族や恋人、友人は大切にすべきはあるとしてもそれ以外の仕事も趣味も遊びも住む場所も宗教も、どれも命を懸けて守る事なんて何もない。
昔はあれだけ強固にフェラーリを持てない人は、、、と自分に言い聞かせていたのに、今は飽きたら手放せばいいしそんな無理してまで持ってるほどのモノではないと思う。
所詮モノだし、人が作ったただの車だし。
むしろそんなモノにいつまでも執着している方がよほど未熟に見える、と思うようになっている。
幸せは足元にたくさんある
実は幸せは自分の足元にたくさん転がっている。
ただ気づいていないだけだ。
昔の自分は1日中カーセンサーを見て欲しいフェラーリの相場と出物情報のみをチェックし、日中はそのことを考えて、夜はフェラーリの事を考えながら寝ていた。
人生それしかなかった。
今では全くそんな事がなくなってのほほんと生きている。
朝ゆっくりと起きて、寝言で笑い出す娘を見て幸せを感じる。
休日にハイカロリー過ぎるラーメンを食べて幸せを感じる。
近所の無口な子どもが挨拶してくれたことに幸せを感じる。
応募した謎の懸賞に当選して幸せを感じる。
夜にフカフカの布団で寝られることに幸せを感じる。
夜中に起きて娘の寝相が悪すぎて笑える。
幸せを感じて生きる事に高価な車も衣服も必要なく、なんてことが無い日常の中に幸せは溢れている。
今は心に余裕があるのでこうでなくてはならない、という事はほとんどない。
他人に対して何か求める事も無いし自分自身に対しても何もない。
毎日楽しい事や幸せな事を探してのんびりと生きている。
それに気づけるかどうかが大切だってわかったんだ。