歳を取ると人は変われない。
歳を取ると当たり前だが体や心に不調が出てくる。
これを今までの生活の答え合わせという人もいるが、食べ物に関しては確かにそれはありそう。
ところで人は性格も変わらない。
その人が今までどんな人生を歩んできたかが30代を超えると答え合わせとして出てきて、それは基本変わらない話。
話し合いの無意味さ
もうこれは10年以上前の話なので今ではそんな人は誰もいないと思うが、当時底辺のサラリーマンだった頃、敵対する同じく底辺の上司や同僚と話し合いをした事がある。
人が集まるところでは当然のように起こるような話かもしれないが
自分:誰もやってない新しい取り組みをしたい。
上司&同僚:誰もやってない事はリスクが大き過ぎる。過去に誰かがやったことのみをやれ。
みたいな争い。
色々話しても結果人はかわらない。
本質的に自分が良しと思っている事は変わらないし、それは相手も同じ。
お互い譲歩して、、、という提案をしても基本完全否定だった。
なんかもう最終的には、理論は破綻して他人の意見を聞き入れると負けになってしまうので、、、という理由のみでゴリ押しされたこともあった。
当時の会社はまさに底辺底辺底辺の集積所のような会社で、1人で帰りの電車の中で
『底辺×高さ÷2』
とつぶやいてしまうほど疲れていた。
彼らの多くは頭では理解できるけれど、、、ではなく理解できる能力が無く、そもそも聞き入れる能力が無かった。
自分の意見を言うことだけできる。
それだけ。
社会に出て立派ではない、犬でも入れるような会社に勤めて、人は一切変わらない、とにかく変化を嫌い、考える事を放棄する事を好むということを理解した。
それを理解した自分はその頃から他者との話し合いを無意味と感じた。
自分の定めたある一定ラインに満たない人達とは話し合いの機会すら持たない事に決めた。
歳を取ると人は変われない
自分もまさにだが、今更長い物に巻かれて上司の命令は絶対服従なんて生活、絶対無理。
同様にそうやって生きている人達も変わる事は不可能。
同じ人間で同じ国や地域に住んでいるのに、考え方が違うというだけで生きている世界がまるっきり変わる。
人生に於いて考え方とはそれくらい大きな存在。
似たような考え方を持っている人とは話していても疲れないからそこまで問題にならないけれど、大きくかけ離れた人とは前提条件を説明したり理解を求めること自体が面倒なので、そもそも話さない事にしている。
『私は日本車こそが世界一の車だと思います。日本車は世界で評価され、世界一の安全性と高性能と美しさを兼ね備えた車が揃っています。それなのに見栄を張って外車に乗る理由は何かご教示ください。』
と言われても
”いやいや君が言ってる事が100%正しいよ!100点!!その通り。それじゃまたね!!”
と話しておしまい。
自分がどんな考えや価値観を持って生きているかを知ってもらいたい、なんて事は無い。1日は24時間でそれ以上増やせないので、自分にとってどうでもいい人が1人でも多く近寄って来なければそれが一番。
人は変わらない。
歳を取った人は尚更。
なので残りの人生を楽しく生きるために気の合わない人からは離れ、気が合う仲間と楽しい時間を過ごすことに力を注いでいるのです。