毎日に翻弄されていると見失いがち。
多くの歌手の歌にもある通り『失ってからわかる事』。
多くの人はそばにある時は幸せな事に気づかないけれど、失って実は幸せだったことに気づく。
個人的に失ってから気づくような人は二流以下だと思う。
実は幸せは足元にもたくさん転がっているし、目標達成のための前進も立ち止まる事が重要だと言える理由。
目方達成のために立ち止まる事
昔から自分は猪突猛進型だ。
ブレーキの壊れたトロッコと言われたこともある。
でも、全速力で漕いで進んでいると道を見失ったとしてもそのまま、本来行きたい方角ではないところにまで行ってしまう。
頻繁ではなくてもいいから、時々立ち止まって確認することは重要だ。
今は自分はほとんど立ち止まって過ごしているので自分の事は勿論、他人の事も良く見える。
ちなみに今までの目標は
①他人にこき使われる人生は御免。
②毎日夏休みのような生活を送りたい。
の②点だったが、今では自身がほぼ満足できるレベルまでは到達している。
実はもっともっといっぱいあったのだが、いろんなことを体験していく中で立ち止まって考え、本当に自分の求めている事は何か考え続けた。
ハーレーを購入してもDUCATIを購入しても、コルベットを購入してもフェラーリを購入しても、幸せや充足感は長続きしなかった。
モノで得られる満足感などたかが知れている。
会社で嫌な事が続いても、家に帰れば大好きな車やバイクや時計がある。
それは勿論素敵な事だし、自信にも精神的な支えにもなる。
だけど、自分にとっては”嫌な事が起こる会社に行かない事”の方がもっと大切な事に気が付いた。
他の人もそうかわからないけれど、自分の場合1日9個良い事があっても帰り際に1個嫌な事があると、その日はその1個の嫌な感情に心が支配されがち。
そんな体験から、”自分の幸せは何かを得る事より、いらないものを捨てる事の方が大切な事”だと理解した。
それからは”次は何の車を買うために会社で必死に働こうか?”
という考えから
”いかに不愉快な思いをする状況から自分を切り離して生活を成り立たせるか”に重点が置かれた。
時々立ち止まったからこその今
ブラック企業で仕事も嫌だし、嫌いな人だらけだけど、そこで死ぬほど頑張ればまた、ストレス発散になるモノを手に入れられる!
そう思ってそこで働き続けて手に入れても、会社で嫌な事があれば、結局何を買っても一日その嫌な気分に支配されてしまう。
そして、日が経つにつれ最初は感動したモノも感動が薄らいでいく。
地獄の鬼の石積みみたいに、一生終わらない事を繰り返してるように見えたんだ。
だから立ち止まって考えて、本当にしたい事を理解して、それに向けて動いた。
日々、やる事が多くてがむしゃらに走り回っていると大切な事を見失いがちだ。
また、当時目標だったことが時間と共に変わってくる事だってある。
自分がゴールだと思っていた事が、実は自分の望むものではない事に気づくことだって。
体を壊してまで働いて、ようやく手に入れた物が実は思っていた物と違った。
でも、体を壊してしまったので元通りには体が動かないし、手に入れた物に満足感もない…では話にならない。
一日何もしない日を作ってみて欲しい。
家でも、原っぱでも、リラックスできるところで空を見て考えてみると、普段気づかない事に気づけたりするものなんだ。
進路は間違っていないか時々、方角を確認する事。
これは実体験からとても大切だと思った。