話す言葉で未来が作られる。
言葉なんか大して重要ではない、行動が重要なんだ。
それは確かに一理ある。
あるが、大抵発言が大したことない人は行動も大したことが無い。
人は自信が発する言葉で未来が作られる。
底辺の人とフェラーリ
過去に記事に書いたことがあるが、自分が極貧サラリーマン時代だった頃に、同じくケツの破れたズボンしか持ってない極貧同僚がいた。
東京へ研修で一緒に行った時だった。
道路を颯爽を走る田舎では滅多に見られないフェラーリを見て自分は大興奮!
『あー!458だ!すごい、カッコイイ!!』
と1人で騒いでいたが隣でそれを見ていたケツの破れた同僚は間髪入れず言った。
『フェラーリなんて調子に乗りやがって。
軽自動車で充分だろうがよ。その金あったらもっと生きた金の使い方しろってんだよ。石投げてやろうかな!だせぇフェラーリだなぁー!』
と道端に落ちている石を探すそぶりを始めた。
自分と同僚とそれぞれ見た直後の反応でほとんど条件反射に近いスピードでの発言だが、この結果のひとつの例として10年経った今、彼はいまだに親のお下がりの軽自動車に乗っている。
底辺の人は自分より上の人や上の物を目の前に差し出されると、アレルギー反応のように拒否反応を示すことで知られている。
『フェラーリ?ださ!俺だったら絶対いらない。そんなん乗る位なら、、、以下略』
『フェラーリ?いらないなぁ、、、。だって燃費悪いし。』
『フェラーリ?いらないかな。その金あったらレ〇クサス買ってフルエアロ組んでエンジン以外フルチューンした方が絶対はえーし。』
『フェラーリ?傷つけてもいい?』
『フェラーリ?あ、俺がお馬さんの絵描いてあげようか!!10円玉で!!』
上記のこれらは自身を生粋の本物の、そして超ド級の
クソ底辺の人間
と自己紹介しているようなもので、全く相手にするに値しない。
正直に言って、今この瞬間に縁を切った方がいいレベルの人間である。
底辺の自己防衛に付き合っているほど暇ではない
相手が凄いと認めたら、反対に自分が凄くないということを認める事になる。
だから、絶対にそれだけは出来ない。
相手は凄くない。自分が上でい続けるために。
自分が敢えてミニバンに、自分が敢えて軽自動車に、自分が敢えてフェラーリを買わない理由を一生懸命探さなくちゃ!えっとえっとえっと、、、。
とりあえずフェラーリはいらない!!ダサいし、恥ずかしいし燃費悪いし、あと赤ってダサくて好きじゃないから!!
こんな感じの言い訳でどう?!わかるでしょ?!
要約すると彼らのいい訳なんてこんなところなんだが、残念ながら我々はそんな底辺に付き合っているほど暇ではない。
向上心があって前を向いている人なら相手がどれだけ努力したかがわかる。
それを尊敬する事が出来る。
そうして自分も努力を重ねる。
成功するための第一歩は相手の成功を認められる事だ。
勝手に相手をライバル視して色々吠えまくったところで、そもそも相手はライバルとも思っていない。
努力して結果を出した人を称賛し、自分も後に続きたい。
そう言える人は皆成功しているし、毎日言い訳ばかりして同じことをしている人間は事実として何年経っても変わらない生活を続けている。