比べるのは他人ではない。
他人と比べていてはキリがない。
なんせ世の中には呆れるほど上には上がいる。
そのまた逆も然りだが。
幸せな人生を送って毎日笑って過ごすためにはお金よりも心掛けの方が大切。
比べるのは他人ではなく過去の自分
他人と比べるからおかしなことになる。
生まれも育ちも環境も得手不得手な事も、何もかも違う他人と比べて自分は優れているとか優れていないとか、あっちの方が上だとか下だとか、あほくさい事この上ない。
他人と比べるのはアホくさい。
比べるべきは過去の自分だ。
先月の自分、半年前の自分、1年前の自分、2年前の自分、3年前の自分、、、。
今の自分と過去の自分のベースは同じなので、同じと言うか延長なので過去の自分よりも良い人生を送れていればそれはバッチリだ。
目先の小さなことであれば細かな浮き沈みはある。
そんなもん誰だってある。
だが、それではなく大きな波で見た時に、自分の人生が過去の人生よりも充実していれば人生大成功だ。
実は幸せって物凄く曖昧なものだし、こうだから幸せってものがある訳でもない。
エルメスのバーキンを正規店で案内されるまで幸せになれない人もいるかもしれないが、朝一杯のコーヒーを飲んで幸せな気持ちになれる人もいる。
どう考えても後者の方が強い。
なんせ、モノで得られる満足などたかが知れている。
これは経験上明白なので胸を張って言えるが、どんなモノも買って3日から2週間で飽きる。
それをもっと高いモノ欲しい、もっと希少なモノが欲しい、誰も持ってないモノを、、、と沼にはまっていくとこりゃ大変。
端から見るとスーパー大金持ちなのに、本人は全く幸せそうじゃないって人何人か知ってる。
そんな事よりも膝に乗ってきた猫を撫でながら、新聞を読む人生が幸せと言える人の方が強いと思っている。
子ども達が出かけていて自分が留守番という珍しいタイミングの時に、荷物で物置化していた階段を片付けた。
キレイになって気分が良く、幸せな気持ちになった。
階段もホコリ一つない位にピカピカに磨き上げたので、帰ってきた妻には汚れるから2度と階段を通らないようにと伝えてある。
たまにはジャンクなB級グルメも食べたい。
たまにはじゃなくてしょっちゅうだわ。見栄張った。
ゴーゴーカレー行って来た。
ソースがかかったカツとキャベツにマヨネーズをかけて食べる。
幸せを感じる瞬間。
公園に遊びに行った。
紅葉がキレイな公園を歩いた。
人生を生きている感じがする。これだけでも幸せを感じる。
スーパーカーなんて無くてもバイクなんて無くても、時計が無かったとしても。
実は自分の周りには幸せな事なんてたくさん転がっている。
それに気づく事が出来るかどうかだけの問題。
人生の目標を高く設定して挑戦するのは素晴らしい事。
頑張る人を見るのは大好きだ。
だが、最終的には幸せのハードルは低い方がより幸せな人生を送れるのは間違いないと思う。