乗り物は経験を重ねる道具。
人生は経験を重ねる事で深みを増していく。
ネットや人づてに聞きかじった事ではなく自分自身で経験したことこそ、生きて自分の一部となる。高級バイクと高級車の使い勝手の違い。
わかりやすい車、興味を持たれないバイク
人生で目立っていない事に不満な人は
・目立てるから
・お金持ちの代名詞だから
という点のみにスポットライトを当ててそこに魅力を感じ、スーパーカーを始め高級車を求める。
何にどんな理由で乗ろうと本人の自由なので知った事ではないが、過去に自分にそんな話をしてきた人はなんだかなって人が全員だった。
『目立ちたいって気持ちもありますよね?』
『何人女の子乗せました?』
『お持ち帰り楽勝でしょ?』
『みんな集まるところで空ぶかししまくりたいですね!』
こんな事を言っている底辺ばかりだった。
車を買ったのは好きだからだ。
なんでガヤルドにしたのかって、あなたから買いますと約束したお店で一番最初に出て来た車がガヤルドだったからだ。
ホントはガヤルド欲しいなんて一言もいっとらん。
だが、プロのオススメに乗るのもまた楽しいかと思って、オススメの車両に乗ってみたという訳。
理由はそれだけなのでそれ以上の事は何も無い。
自慢する気も無い。
ブログによく写真をあげてると言われても、自慢では無くて貧乏だからそれ一台しか持てないから、それをあげるしかないだけだ。
ただ、古い事もあってまぁ手はかかるので持っている人の大変さはよくわかる。
スーパーカーを所有している人を凄いなと思うし尊敬するが、反対に持ってない人を馬鹿にする気持ちも無い。
前から言っているが所詮モノの満足感などたかが知れている。
そんな事よりもその道具でどんな経験をするかが大切なんだ。
スーパーカーの旅とバイク旅の一番の違い
自分は他人の注目を浴びる事を良く思っていない。
だから人が集まるところに行って乗ろうとか1mmも無い。自分と車の対話を楽しみたいのだが、ガヤルドでも十分に人目を惹き、街中を走ると全裸で股間に動物の角を付けて歩いているのと同じくらい衆目を集める。
対してバイクの場合はごく一部の”3度の飯よりバイクの排気量が気になって仕方がないおじさん”以外は誰も興味が無い。
50ccのスクーターも2000cc近いハーレーも全部ただのバイクだ。
これがとても良い。
昔と違って今は無敵の人が増え、いたずらや妬みの行動が陰湿になっている。
彼らの目に留まらないに越した事は無い。
自分の車は大して高級車ではないが、高級車持ってる人はいいなと思うこともある反面、大変な事もたくさんあると思う。そういう意味では人通りの多い銀座なんかに路駐してるスーパーカーとかホント凄いなと思って見ている。