平穏無事な時の行動などあてにならん。
滅多に起こらない非常時にこそ、その人の真価が発揮される。
平穏無事な毎日での行動で調子が良いのは当たり前だ。そうではなく異常な事、態緊急事態になった時の行動こそ、その人の本質が現れると過去の経験からも強く思う。
コロナ禍でバイ菌扱いされた友人たち
もう過去の話となりつつあるコロナ禍。
この時にもたくさんの話を聞いた。
田舎に帰りたくても地方に住む家族や親せきが都市部にすむ自分をコロナ感染していないにも関わらず病原菌扱いし、帰省を頑なに断った。ずっと実家に戻る事ができず、話を聞けば近隣県に住む親戚や友人は問題なく迎え入れていたのだという。
とても寂しい思いをした友人たちは口々に言っていた。
『今はこんな非常事態な世の中だししょうがないよ。通常であればこんな対応されないけれど、こういう時は疑心暗鬼になって相手を責めてしまうものだよね、、、。』
自分の考えは違う。
非常事態が起こった時にこそ、その人の真価が現れる。
言葉を変えれば化けの皮が剥がれる。
そして普段注目されない人にスポットライトが浴びる事がある。
平穏無事な時に穏やかな対応をする事は誰でもできる。
そうではない誰もが心中穏やかではない状況になった時どんな行動や言動に出るかで、その人の価値自体が変わって来るようにも思える。
これはコロナに限らずありとあらゆることに言える。
仕事でも自分が状況が悪くなった途端、急に周りからいなくなり音信不通になる友人たちがいる。
反対に親身になって力になってくれる人もいる。
本当にいろんな人がいる。
個人的には調子が良い時の自分とは仲良くしているけれど、調子が悪くなった途端関りが無くなる人は友人でないと思っている。
こういう事が過去に何度か起こるたびに
『自分が友人だと勘違いしていた人は実は友人ではなかった。今回はそのことがわかって良かった!』
と思うことにしている。
意外と自分が友人と勝手に思い込んでいる人は多かったみたい。
実際のところ大抵の人は逃げる
何か非常事態が発生した時、過去の経験上大抵の人は逃げる。
いなくなる。
友人の数自慢をしたい人はショックかもしれないが自分の考え方は違う。
一方的に友達と思い込んでいただけの人の正体がわかって良かった、と思っている。自分は大切な友達だと思っていたが相手には自分は大切な友達ではなかっただけだ。
人生のストレスの大半は人間関係と言われる。
自分の事を大切にしてくれる真の友人と出会った時は長く大切にした方が良い。
大抵の人は何かあった時には簡単にいなくなるので。
自分は人付き合いが面倒なのであまりリアルな世界ではつながりを持たないようにしている。