流されるままに行くのも人生。
現代の人の多くはほとんど信念も考えも、何もなく生きている人が多いように見える。
自分の周りにはそんな人が多い。これは若者に限らず年齢が上の人でもそうだ。自分のようなオッサンは何かを成し遂げるのは結局のところガッツや信念だと思ってしまう所があるのだけどね。
今をただただ生きる人だけが多いように見える
朝から晩まで、何ならほとんど夜から夜まで工場や倉庫で働き続け自分の時間が無い、お金も無い、こんな生活しているから友人もいないし楽しい事も無い、、、。
そうぼやいている人を過去に複数人あったことがある。
言葉で上手く伝えるのは難しいが
辞めたら?
と思った。
でも彼らはただ一人として首を縦に振る人はいなかった。
『時代がこれじゃね。国がね。日本はね。世界的にね。現代はこうだからね。地球規模的に考えてもね。みんなね、、、。』
なかには将来成したい事や欲しい物がある人もいた。
今の生活を続けていれば達成できそうか聞いたこともある。
『いやー、この生活でそれは無理でしょう、、、。』
そ、そうか。
それじゃその将来欲しい物や成したい事はいいのかい??と聞いても
『こんな時代だからね、、、。』
昭和時代から平成初期に作られたドラマやアニメを見ているとまさにその時代の人に刺さるような、ガッツある将来有望な若者が多く出てくる。
きっとその頃にはそんな人が多くいたのだろうし、そんな人たちが評価される風潮もあったのだろう。
勿論、昔と今とではいろんな事が変わっているので一概にどっちが良いと言う事も無いけれど結局のところは自分の信念やガッツ、根性と思ってしまうのは自分が昔の人だからなのかもしれない。
昔の自分の生活に満足していなかったので、こんなクソみたいな生活で人生を終えるのは御免だ!と思って過ごしていてそれ自体が原動力になっていたので、自分にとっては信念だったという話。
勿論、方法や動機付けは人それぞれだが。
きっと昭和時代よりもよほど人生の選択肢は増えている。好きな生き方、経済的自由になるための方法も増えている。あらゆる人生を楽しむ方法がある。
が、時代のせいに、国のせいに、周りのせいにしてずーーーっと淡々と同じことを繰り返している人が若者も年配の人も問わず増えているな、、、と見ていて思うことがある。
自分と似ている人は好き
自分の信念があって根性がある人が大好きだ。
そんな人が周りにいれば応援したくなる。彼が、彼女が喜ぶことはしてあげたいと思うし、自分に手伝えることがあれば手伝ってあげたいと思う。
が、実際そう思える人はほとんどいない。
最初はいいなと将来が楽しみだと思っていても、彼らはある日突然サッと手を引いてしまう。
これが昔のオッサンには切ない。
一度きりの人生なのでどうやって生きようと本人の自由なのだけど、自分で変えようとしない人は基本的に良い方に変わる事は無いと思うのです。