全ては自分次第。
昨年話題になった親ガチャ。
生まれた環境をゲームのガチャに例えたものだが、話を聞いていみると一定数の若者は親ガチャに失敗したという認識を持っている。こればかりは選べないからな。しかし前向きに考えると国ガチャには成功している。安心して飲める水がどこでも手に入り、自分のような貧民でも少しの努力で楽しい人生を過ごす事が出来るからだ。
楽しい人生もつまらぬ人生も全て自分次第。
人はイメージした姿になる力を持っている
過去に何度も書いているので読んでくれている人にはまたその話か、、、と言われていしまうが、自分の一番の目的は自由だった。
嫌な上司にこき使われて毎日自分が悪くも無いのに”すいませんすみません。”と頭を下げて生きるだけの惨めな人生を卒業したかったんだ。
だから『自由』になれる可能性がありそうなことしか興味がなかった。
『うちの正社員になれば休みは他社とそこまで差が無いけれど、給料や福利厚生は断トツだよ。』
こんなお誘いを何度か受けた事もある。
有難いことだが、自分は人にこき使われる人生はコリゴリなんだ。
お金がなくたっていいので自由でありたい。
だから自由になれる可能性がある事を自分の人生の中に端から取り込んでいった。
見込み違いの要素もあったが、向いてる方向は変わっていないので多少蛇行しても修正は効く。
反対に会社員時代にはこんな事を言っている先輩や同僚もいた。
『俺なんて無理だよ、絶対そんな事できないよ。』
『そんなのは一部の限られた人だけ。自分なんて普通の会社員以外無理。』
『普通はそんなの無理だよ、自分の人生はそんな事にか賭けられないな。』
彼らはその通りのイメージした姿になり、今でも10年前と同じ会社でサラリーマンとして日々働いている。
お互い将来イメージした姿になれている。
上記のことからもイメージした姿に慣れるのは事実であることがわかる。
上も下も縦も横もつまらぬ人間関係は御免
人の悩みの9割は人間関係と言われる。
間違いないと思う。
何も考えていないと世の中の流れに流されてしまう。
・仕事だけじゃなくてプライベートの友人同士の付き合いにおいても上下関係が出来る
・下に見てる誰かには大きく出る
・この人は好きじゃないけれど今後のためには一応関係性は持っておいて、、、
こんな事がいつの間にか自分の中にはできる。
くだらん。
面倒な事がストレスなので最近はシンプルにこれだけだ。
自分の事を大切にしてくれる人を大切にする。
年齢も性別も職種も住んでいる場所も人種も何も関係なし。
だから今は人間関係のストレスがなく人生が楽しい。快適だ。
同じ事で笑えて共感できる人なら誰でも歓迎。
しかし特段友人の数を増やそうと思っている訳ではない。
よくわからない友人が100人より良く知った仲良しが2~3人で充分だ。
先日は雪の中のツーリングで久しぶりに大笑いして、マジで恐怖に陥り一生忘れられない一日を過ごす事が出来た。
意図せず自分の人生にカラフルな一日が出来上がった。
子どものときは大人になりたくないと思った。
子どもの目から見て楽しそうな大人が周りにいなかったからだ。
今、大人になった自分は人生が楽しい。
子どものときの何倍も笑って好きな事をやっている。
人はイメージした姿になるし、なりたい人生を歩むことが出来る。
人生は一度きり。
後悔の無いようにやりたい事は何でもやって、やりたくない事は今日にでも辞めよう。