やりたくない事はやらない人生。
自分は学校が死ぬほど嫌いだった。
授業を受けるのも面倒だしテストもだるいし、先生の話を長時間聞いている事も、みんなで軍隊みたいに同じことをさせられることが嫌で仕方がなかった。
そんな人生を前半過ごして当時を振り返り、無駄だったことや無駄ではなかった事を考える。
人生は両方は経験できない
結論から言うと、学生時代に多くの事を強制されて生きてきて、人生はまさに『我慢』を徹底的に叩き込まれるための生活だったように思える。
その大半の時間は無駄だったと思っている。
連帯責任とか、全員で同じ事に取り組んだりとか、夏のクソ暑い時期に校庭を犬のようにグルグル走らされたり、集会とかしょっちゅうやってお互いの意見を交わし合ったり、読書感想文を書かされたり、全く興味がない授業を延々と聞いていたり、欠席した分補習授業と称してプールで数kmも泳がされたり、小学生当時は組体操とか言う陰毛のような取り組みもあった。
そんな事を日々奴隷のようにやらされている頃は
『学校の先生たちってなんでこんなにバカなんだろう。』
と思っていたが、学校を卒業した今でもその想いは大して変わっていない。
自分にとって当時やらされたことで役に立った、、と思うことはほとんど無い。
当時も無駄だと思って渋々やっていたが、社会に出た今でもあれは無駄だったと思っている。
それじゃ、授業を一切受けず学校に行かない状態で大人になったら人生はどうなっていたか、、、。
これに関しては残念ながら知ることはできない。
人生はどちらか一方の経験しか出来ず、これをしなかった場合の人生というのは経験することができないんだ。
ただ、憶測だが過去の有名人を見ていて思う。
このひねくれた性格は学校程度では強制することはできないので、学校に行ってなかったとしても大して変わらない人生だったのではないかとは思う。
わからないけどね。
やりたくない事をやらない勇気
やりたくない事はやらなくていいと思う。
人はそれぞれ得手不得手があり、みんな同じものが得意な訳ではない。
昔ほど酷くはないにしろ、世の中は1人1人の細かい特性に沿って合わせてはくれない。
やりたくないことだってたくさん出てくる。
やらなくていいと思う。
1~5まで能力があるとする。
1しか出来ない事を努力して3にしても平均にしかならない。
それなら、3もしくは4あるものをもっと上に伸ばした方が楽しい人生になると思っている。
自分に好きな事があればそれが一番向いている。
好きな事が無ければ何でも色々やってみると良い。そして何もやりたくなければやらなければ良い。
人生にはやる!!と決めなくてはならない瞬間が訪れる。
同時にやめる!!と決める瞬間も多くあり、こちらも同じくらい重要だ。
会社しかり、授業しかり、友人関係しかり。
やりたくない事を辞める勇気も人生を充実させるためには必要なんだ。