根性論の今と昔。
昭和世代の人間は根性と気合で出来ているので、仕事が上手くいかなければ根性を出せ!と。それでも上手くいかなければ気合が足りないという事になる。
人生は気合、そして根性。
当時、格闘ゲームでもボタン連打を要求するゲームが多かったが、これも根性に起因するものとみて間違いないだろう。
ところで現代のお金持ちは全然考え方が違うらしい。
昔のお金勿論と現代のお金持ち論
冒頭でも述べたように昔のお金持ちは根性と気合が大好きだ。
大好きも大嫌いも何も、頭を割ると根性と気合の2つしか出てこない。
そんなものは根性で何とかしろ!
そんなものは気合で解決しろ!
全てはこれに行きつく。
辛い仕事も深夜まで残り残業して嫌な接客対応もひたすらに頑張る。
この原動力は無論根性なんだ。
人生はボタン連打だ。
ボタンを連打し続ける人生が昭和的金持ちの根性論でもある。
ところで現代のお金持ちはというと、嫌な事はやらず自分が興味がある、楽しいと思うことに全力投球なのだとか。
端から見ると努力しているように見える事も本人的には楽しんでやっているだけ。
だからいつの間にか凄い結果を残せるようになるという流れみたいだ。
彼らは「ガマンする」とか「やりたくないこと」は徹底的に避けます。
やりたいことだけをやり、「やりたくないこと」は他人に任せたり、外注に出したりします。自分がやるのは「やりたいこと」だけ。だからこそ常に仕事に没頭でき、仕事にワクワクし続けていられるのです。
そもそも、高いパフォーマンスを発揮するために、必要な要素とは何かというと、それはやはり、「やりたい」「自分がやるんだ」という強い衝動でしょう。それが強烈な集中力を生むのですから。
そういう状態にあるとき、「自分はがんばっている」とか「努力している」などとは感じません。いわゆる「フロー」とか、スポーツでいうところの「ゾーン」という状態です。そして、その集中力が切れた後にやってくるのが「充足感」なのです。
文:午堂 登紀雄(米国公認会計士)
あるじゃん(All About マネー)
「昔の金持ち」と「今の金持ち」、決定的な思考の違い
自分の得意分野で勝負
何かしら自分の得意分野があるものだ。無いと思っているだけで自覚していない事は多い。なぜなら本当に得意な事って自分では自覚してない事が多いから。
あぁ、あれのこと?
そうね、それはまぁ好きだからね。
これが実はすごい能力だったりするんだ。
根性論も悪い事ばかりではない。
実際何もやらないよりはとにかく動いてみる事も大切。
何にせよ動かないと始まらないので。
昔のお金持ちは辛い事も耐えて頑張った。
長時間労働も理不尽な事も耐えた。
現代のお金持ちは我慢をしない。自分の興味ある事を夢中になって取り組む。本人は楽しんでやっているだけ。
こんな違いがあるみたい。
ちなみに自分はお金持ちではないがある時期から我慢をすることは辞めた。
欲しいもので買える物はすぐ買うし、やりたい事で出来る事はすぐにやる。
その結果人生が楽しく周っている。
1日25時間不眠不休で働け!と言われても困っちゃうよね。
人より体力があったり夢中になってると時間が過ぎちゃうって事なら、それは現代的な動きなのかもしれない。
現代のお金持ちはやりたくない事はやらず興味ある事に全集中。
これがいいみたい。