物で得られる満足は知れている。
物で得られる幸せの限界を悟った気がする。
結局どれだけ新しい物を買っても毎回毎回最大限に嬉しい気持ちはない。むしろ、回を重ねる事によって嬉しい気持ちは薄れていく感さえある。結局物で得られる満足感などはたかが知れていると言わざるを得ない。
体験して気が付いた。
幸福度はどんどん下がっていく
やらない後悔はしたくないという考えがあるので出来る事は端から取り掛かる事にしている。その結果、欲しい物は短い期間でまとめて複数購入する事もあった。その時の心境の変化には実は自分が一番驚いていた。
というのも初めて買った車や初めて買ったバイクは納車までの日数が死んでしまうほど長く、一日が一週間くらいの長さに感じたものだった。
業者さんにも納車前に電話して進捗を聞きたくなるくらい、自分の車の納車日をドキドキワクワクして待ち続けていたんだ。
これが一年間に複数回発生するようになると、勿論欲しい物しか買ってないのだが欲しい物が手元に来る事が特別なイベントではなくなる。
そうなるといよいよ明日納車ですよ!という状況でも夜も眠れない程のワクワク感はなくなり、むしろどこに置こうかな、、、何の時に使おうかなと割と冷静になって考えるようになっている。
想像してもわかることだが実際に経験してその通りである事がわかった。
初めて買った憧れの品は嬉しさ100倍だが、これが連続して手に入る状況になると都度嬉しさ100倍ではなく嬉しさ2倍、嬉しさ1.5倍、嬉しさ1.25倍、嬉しさ1.1倍と下がっていく。
知人に10台以上スーパーカーを所有する人がいるが、一台持ってるだけでも幸せなスーパーカーを10台以上あって夢のような生活かと思えば、台数が増えた分だけ悩みが増えて元気が無い時がしばしば。
物で得られる幸せや満足感なんてたかが知れている。
所有していない事を落ち込む必要は無し
本当に欲しい物があれば全力で目指すと良し。
だがそれを手に入れられなかったとしてもそこまで落ち込むことはナイ。
こう言っては夢も希望も無いが、どうせ手に入れていたとしても数カ月から数年で飽きる。
違うものが欲しくなる。
物で得られる満足感などそんなものだ。
それよりも気心と知れた仲間と同じ体験をして笑い合う、子どもと触れ合う、家族との思い出、何気ない日常の一コマ、一緒に過ごしている動物と触れ合う、、こんな事が一番楽しいし幸せだったりするのよ。
今不満があって、モノで解決しようとしても多分それは思ったようにはならない。
物で得られる満足感の効力は短いので。
それよりも実は周りにたくさん転がっている幸せに気づけるかどうかが大切な事なんだ。