のぶろぐ13。

毎日が夏休みの人生。

モノで得られる満足などたかが知れてる話。

スポンサーリンク

f:id:Nob13:20221010193219j:image

モノに固執していた時代と今。

 

自分がスーパー極貧でケツが破れた状態で歩き回っていた頃は、ブランド品や高級車を持っている人を、本当に本当に羨ましく思って見ていたんだ。

それが今では運よく、自分が欲しかったモノは一通り手に入れることが出来た。その結果、経験を経てモノで得られる満足感などたかが知れていると理解した。

 

 

 

高級品を持つ=成功と思っていた昔

特にこれと言った特技も芸も無く、自慢できる物なんて何もなかったスーパー極貧時代。マジで自慢できること言えば、『俺最近は2日間何も食べてないぜ!すごいだろ!』位なものだった。

そんな自分には、東京で見た高級車達とそれに乗る多くの人々は太陽のように眩しく見えた。

 

そうして自分もそうなりたいと思って努力し、当時憧れた自分の欲しいものは一通り手に入れる事が出来るようになった。

しかし手に入れた今、モノが幸せに結びついている事は無いなという実感がある。

 

高級時計も、高級車も、ブランドバッグも所詮モノなのでそれ以上でもそれ以下でもないし、知れば知るほど悪いところも色々見つかる。

外から見て、乗ってない頃に想像していた頃とは随分違う現実があるのは事実。

 

勿論いろんな人がいるのでこの話に限った事ではないけれど、モノは買えば買うほど満足感は減っていき、最近では時計を買っても家に帰って開封するまでに飽きる。

 

車も、Zもセブンも納車待ちだが心底納車が待ち遠しいかと言われるとそうでもない。

勿論来たら嬉しいし楽しいと思うだろうけれど、別に納車は来年になっても再来年になってももっと向こうでも構わない。

 

初めて新車でコペンを買って毎日塗装が剥げるほど磨いていた頃と比べると、もしかするとあの頃の方が人生経験も少なかった事もあり、今よりも車に対する充実感があったかもしれない。

 

ざらしで保管して台風や大雨情報に一喜一憂していた頃の方が心理的に充実していたカーライフだった気がする。

 

今は当時に比べて色々慣れてしまっている。

f:id:Nob13:20221010193223j:image

自分の生活に合わせた使い方と車

絶賛子育て中なので今までのように毎日自由にお出かけは出来ない。

ガヤルドもバイクもQ8も、月に何回か高速道路を使って往復1時間走って『今月も乗ったな~』くらいな使い道だ。

仮にこれで車が変わって、マクラーレンになろうと他のフェラーリランボルギーニになろうと結局月に一度同じ用途でしか使わないので、自分の中で何に乗っても変化が無い。

 

もっと乗ればいいじゃない?と思うかもしれないけれど、他にやりたい事があるから車に乗って楽しむことはそこまで優先順位が高いことではないんだ。

 

モノよりも経験

自分にとってはモノを手にする事よりも経験が絶対的に楽しい。

1000万円位の車を買っても人生など大して変わらないけれど、1000万円使って世界中へ旅行をしたら自分の持っている世界がガラッと変わるのではないだろうか。

 

その経験がある人と無い人では見える世界が違う。

 

今は人生で一度きりの1歳児のお父さんだ。

朝早く起こされて、パンツもズボンもゴミ箱に捨てられて、光ケーブルを噛みちぎられて、、大変な事この上ない。

行きたいところへ行けないし、やりたい事も何も出来ない。

趣味だった旅行も音楽鑑賞も時計趣味もやってる暇なし。

 

でも、今のこの時間は将来絶対に巻き戻せない時間である事を理解している。

 

あの時もう少し子どもと関わってあげればよかったなぁ、、、

 

と思っても、時間を巻き戻すことは絶対に不可能だ。

 

そうなると、1人で車やバイクに乗ったり音楽を聴いたりすることは後でも出来るので、今しか出来ない事を最大限堪能して人生を満喫しようと思っている。

 

そんな想いで生活してるから、モノで得られる満足感などはたかが知れていると心底思う。

旅行へ行って見た事ない風景を見たり、経験をしたり、何か結果を出そうと一生懸命努力した事はずっと忘れないし、家族や仲間と過ごした時間は宝物だ。

 

 

結局何が言いたいかという事だが、今欲しい車が買えなくて自分が情けないとか惨めだとか思っている人がいるかもしれない。

 

自分がそうだったから。

 

でも、モノを手に入れる事よりもその物を手に入れようと必死に努力している今が既に、最高に光り輝いている瞬間なんだぜという話なんだ。

f:id:Nob13:20221010193215j:image