未来に後悔しないように。
やらない後悔よりもやって後悔。
欲しいバイクが将来手に入らなかった時に”あの時買っていれば、、、”と後悔したくないので、以前から気になっていたVFR800Fを4秒ほど熟考した末に購入する事にした。ホンダのV4エンジン。
ずーっと昔の友人が乗っていたバイク
自分がハーレーに乗っていた頃の友人が当時のVFRに乗っていたんだ。
一緒にツーリングへ行った楽しい思い出がある。
近くで見ていると影響は受けるので常に心の隅にあったバイクがVFRだ。
今後は電気自動車に推移していくのだという。
その方がエコらしい。ほー。
となると、内燃機関の車両はほとんどが在庫限り。
直列4気筒エンジンはあってもV型4気筒エンジンはほとんどきいた事が無い。
例えるのが難しいようなサウンドで11500rpmまであっという間に回るというV4エンジンを、自分の手で動かしてみたかったので翌日の朝にディーラーに連絡。
何と丁度、新車在庫が1台だけあるというのでそれを買う事にした。
なんてめぐり合わせ。
このVFRはホンダの良かった頃の熱い魂が宿されている素晴らしいバイクだ。
お店の方に聞いた話だが、最近のモデルは中を開けて見るとかなりコストカットが目立つのだそう。
あーここも、こんなところも、こっちもかーって。
昔からずーっとホンダ一本でやってきたからこそ、外からはわからない内部の変化までわかるって。
で、このVFRはホンダが妥協なく作っていた頃のバイク。
コストのかかる製造方法なので、新たにこのバイクを作り上げたらとてもじゃないけれどこんな値段では発売出来ないし、そもそも作らないと思う。
そんなバイクがVFRなのだそう。
カラーも歴史あるトリコロールカラーになっているのだ。
Story of INTERCEPTOR
市販車ベースのマシンで競い合うAMAスーパーバイク選手権が盛り上がりを見せつつあった’83年。Hondaが投入したのは、当時全盛を誇っていた直4ではなく、それに代わる新しいアイデンティティーとして力を入れていたV4マシンであった。
北米で「INTERCEPTOR」と呼ばれるVF750F(RC15)である。
’86年にはVFR750F(RC24)となり、さらなる進化を遂げるこのマシンは、トップライダーのアグレッシブな走りに応えるポテンシャルを遺憾なく発揮。’84年からの3シーズンをフレッド・マーケルが、’87年にはウェイン・レイニーが、そして’88年にもババ・ショバートがチャンピオンシップを獲得したことで、ライバルたちに高い戦闘力を見せつけ、その色鮮やかなボディーカラー「トリコロール」を観衆の心に強く印象づけたのである。以来、HondaのV4マシンはサーキットでの進化と熟成を重ね、数々のレースで勝利をもたらしていくこととなる。
“差でなく、違いで勝負しよう” “そこに可能性がある限り、挑戦し続けよう”そうした想いを胸に、V4エンジンのもつ可能性を信じ、鍛え上げ、レースという極限の場で実証した情熱と技術の結晶「VFR」。
最新モデルにも受け継がれるそのDNAは、今も変わらず世界中のライダーを魅了し続ける。
HONDA
当時のVFR750。
現代によみがえったVFR800F。
11500rpmまで回るV4エンジン。
四輪で言うと430馬力位のパワー感。
そこまで大パワーにしなかったのも回せる楽しさを残すためと。
80年代から続くV4の歴史を感じながら、走りとエンジンのフィーリングを堪能してみたいと思っている。