ゲンダイのスーパーカーは高い。
何を持って高いとするかは人それぞれ。
価値を見出している人には安いと思えるものでも、興味のない人からすればものすごく高い物であったりもする。
俺は一応車好きだけれど、最近の自動車は高いと思う。
フェラーリの値段の変遷
1999年に発売された360モデナは1610万円(MT)である。
2005年に発売されたF430は2079万円(MT)になった。
2010年に発売された458イタリアは2964万円(DCTのみ)になった。
そして一気に2020年まで飛んで、現行モデルのF8トリブートは3305万円である。
(車両本体価格は時期によって多少前後する)
これらは本体価格であり、ここで変幻自在なオプションを載せていくと、もっともっと跳ね上がっていくのだが、やはり本体金額だけ見ても1999年のモデナから現行モデルは2倍の金額になっている。
勿論、性能アップや先進装備が標準装備されるが故の価格ではあるが、実際問題アイドリングストップを始めとする”いらない機能”も多くついているため何とも悩ましい。
そしてきっと平均年収は20年前より落ちているのではないだろうか。
車の値段はフェラーリに限らず、軽自動車等、全車種で値上がりしている。
しかし、働く人の賃金は全業種2倍にはなっていない。
これが辛いところではあるが、何とか欲しい物を手に入れられるように頑張るのみである。
なんでみんな一律イッセンマン、、、??
さて、ここからが本題である。
俺は以前から謎に思う事がある。
ある程度の年齢のおじさん世代の人は、スーパーカーを見るとうんちくを垂れる。所有者や詳しい人はそれはそれでいいのだが、そうでない人の話す金額が全て一律1000万円なのが以前からずっと気になっている。
具体例を出そう。
①営業時代、40代半ばの先輩とテスタロッサに遭遇
駆け出しの営業マンだった頃、先輩の運転手をしてドライブしていた時に、前方を走るフェラーリテスタロッサに遭遇。当時の時価は500万円ほどだったが、すかさず先輩が言った。
『あんなのは一千万(イッセンマン)するぞ!!』
俺はそんなにしないことは知っていたから、適当に話を合わせておいた。
②観光バスのおじいちゃんがランボルギーニを見て
サービスエリアにて、観光バスからおじいちゃんたちが降りてくる。
そして隣にはランボルギーニのアヴェンタドール。(時価5000万円)
瞬く間におじいちゃんたちに囲まれ、1人のおじいちゃんが
「これいくらするの?」
と、言った。
その0.2秒後に間髪入れず別のおじいちゃんが、
『こんなのは一千万(イッセンマン)するぞ!!!』
とドヤ顔&ドヤ声で言い放った。
俺はバナナの皮を踏んだわけでもないのに、何もない路上で転びそうになった。
③スーパーカーミーティングにて
今年もスーパーカーの集まりがあった。
好きな人からは憧れの的であるF40(時価1億~2億円)が登場!
ちょうどミニバンから降りてきたおじいさんに、奥様と思われる女性が訊いた。
「まぁすごいわねぇ。一体いくらするのかしら?」
そしておじいさんは語気を強めて答えた。
『あんなの一千万(イッセンマン)するぞ!!!』
牛乳を飲んでいなくて良かった。
このように、ある程度のおじさんからは全ての車両が一律『イッセンマン』になってしまう現象を過去に何度も目の当たりにしている。
自分なりの考察
結論から言うと
1000万円=イッセンマン
ではないのかもしれない。
例えば2000GTが発売された1967年当時は、大卒の初任給が概ね2万6000円前後であったそうだ。貨幣価値はさて置き、金額自体は今の1/10くらいだろうか。
現代の基準に合わせて10倍すると、初任給は26万円になる。
つまり、良く出てくる『イッセンマン』は給料が2万円だった頃の1000万円。
現代の20万円に合わせれば1億円。
イッセンマン=1億円
翻って見ると
イッセンマン=絶対買えないほど高い金額
という意味なのかなと自分なりに考えてみた。
実際のところどうなのでしょ?
教えてくださいw