
体験格差による共有不可問題。
体験や経験の格差が広がっている。
自分はたくさん経験している方ではないがそれにしても経験値が低すぎて会話が合わないと思う事が多々。金が無い、経験が無い、頭が悪いの三重苦はちょっと一緒に過ごすのは難しい。
園の出来事
この記事を書いている時点ではまだ運動会前で先生たちは日々鬼の形相で子ども達に集団でおこなう遊戯を叩きこむことに精を出している。
その割合は本番を前にして益々苛烈さを増していき、一日のわずかな時間だった全体練習が今では一日の大半を占める時間になっている。
そのせいもあって娘は最近は
『お遊戯の練習が疲れるから園に行きたくない。』
と言っている。
始めは集団生活の経験が無いから自由に過ごせない時間が楽しくなくてそう言っているのだと思っていたが、先日まさに遊戯を全体練習のタイミングで園に行く事があり、そこでの子ども達の指示、我々から見れば指図しているニュアンスは想像を超えていた。
で、子どものお迎え。
娘は昨日栗拾い行ったことやばーちゃんが娘が拾った栗で栗ご飯を作ってくれてそれが甘くて美味しかったことなどを靴を履きながら見送りの先生に話してた。すると先生は
『そうなんだ。そんな事より、今日教えた遊戯、絶対に忘れないでね!!みんなと合わなくなっちゃうから!絶対だよ!!周りに迷惑掛かるからね!』
そう言って娘はうんわかったよと言って迎えに来た自分と手を繋いで帰った。
今日お迎えに来た父親と2人でフェアレディZに乗って栗拾いしてきて、それを美味しい栗ご飯にして作ってくれたおばあちゃんの話がそんな事だと、、、。
園の教育の指針を読んだ。
園児の主体性を最も尊重すると記載がある。
主体性とは指示待ちではなく自分の意志や判断に基づいて行動することだ。
主体性の尊重、園の指針は理解してる?
以前も集団生活が大切、将来社会に出て通用しなくてなってしまうから団体行動はできないとダメみたいな話も合った。
将来社会に出て通用しないのは君が生きている世界線での話だろう。
話をしていて確信しているのが
①頭が悪い
②社会経験が乏しい
③金が無い
この3つの要素がそろっている人との対話は不可能。
頭が悪いため想像力を働かせることもできない。想像力が無くても社会の経験が豊富であればいろんな事が経験としてわかる、でもお金が無いため経験することもできず自分の生きてきた、見たことがある世界だけが全て。
うちの園は先生が率先して気づき、気配りを教えていますと。
全然気が利かないし全く気配りできてないよ。
リッツカールトンやコンラッドのような高級ホテルとかよく行くでしょ?気配りってどういうことかわかるでしょ?
でもさ、悲しい事に反対意見を言う人は全てクレーマーなのよ。彼らにとっては。
そういう閉口する以外の関わり方が存在しない人がとても増えてきている。
どこを見て生きているかの話
お遊戯が出来たら将来裕福になれるのか。
組体操が出来たら将来フェラーリに乗れるのか。
先生のいう事を全て守ったら将来成功できるのか。
成功とは何が成功か。
食事中に片手食べをして食事中に鼻をかんでいる人間がそれらを禁忌として教えている家庭の子どもに教えられる食育とは。
我慢することって必要な時もある。あるけれどそれを強制するのは間違っている。
みんなと仲良くしましょうと教えている。
みんなと仲良くする必要はないと思っている。
一度も成功することのなかった人間がそんなやり方では将来大人になってうまくいかないと子どもを指導している。
何が成功で成功者がどんな世界で生きてきてその人たちがどんな価値観を持っているか。
そんなことを知りもせず年収200万円の正義を振りかざして生活している人を見ていると正直とても悲しい気持ちになる。
でもそれを言ったところで『だったら来なくていい!』となって終わり。理解もできないしね。ただのクレーマー。
こうして世の中の様々な格差が広がっていく。
自分が考える子育ての話。
子どもにはいろんな個性があるから子どもの個性を伸ばしてあげることが大切なのよ。
やりたいことをやらせてあげて、子どもが話したいことをもっと深く聞いてあげる。
子どものやりたい、話したいという意欲を潰さずに。
どんな能力を秘めている子かわからないからね。
それを自分のような底辺が潰してしまう事の方が怖いよ。
子どもの方が大人よりも気づいてることが多い。
大人が見逃している様々な変化や細かい事に気づける。だけど声が大きいのは大人。
何の結果も出せなかったような大人が小さな未来ある子どもの価値ある声を潰すようなことはあってはならない。