
子どもにとっての幸せを考える。
時々耳に入ってくる子どもにまつわる悲しいニュース。
自分の子どもはどうだろうか。
夜や日中1人になったときに考えている。
自分の幸せ<子どもの幸せ
自分の場合子どもの長時間の保育は必要としていないので、同世代の子ども達と過ごす事の体験をさせることを主たる目的として子どもを園に通わせている。
毎日朝食や着替え、日焼け止め塗ってあげて髪を縛ってあげて園に送っていくと送った後は今日は楽しく過ごせているだろうかと考える。
少し前に一番の仲良しだった友達が転園してしまった。
そのせいで仲良しを失った娘は少し落胆していた。親としてはいなくなってしまった仲良しさんに変わる友達が出来ればいいなと思っている。
そして自宅内で時々転園した〇〇ちゃん今何しているかな?どこの園に行っているのかな?なんて話を聞いていると、もしかして今の子たちと関係性が築けていないからそう言っているのか、それとも問題なく過ごせているけれどたまたま気になっただけなのかと不安になることが少々。
子どもには寂しい思いをしてほしくないので気になって仕方がない。
また、時々今日はお休みするーと言う。
我が家の方針としては学校愛好家には怒られるが、そこまで学校の集団生活を大切に思っていない。実際自分も妻も幼稚園や保育園時代の友人なんて残っていない。
総合的に考えて休みたい時は休めばいいという考えでいる。
ただ、その休みたい理由にもよるが。
一番心配しているのが人間関係の悩み。
気を付けているのはいじめにあってないかなどだ。
子どもからのSOSを見逃していないかどうか。
子どもの話をよく聞いてどうして行きたくないの?と聞いて子どもがだってーとさらっとこたえられる環境は今のところ出来ている。
外的環境を我々がコントロールすることはできないので、そういったことが発生したときにいつでも相談できる環境を家庭側で作っておくことが大切と考えている。
子どもを園に送り出してせいせいした、なんてとんでもない。
みんなとうまくやっているか、流れについていけているか、一人ぼっちで過ごしていないかなどをずっと気にしている。

気の合う人と人生
自分が大人になってよくわかるが、気が合う人なんてそうはいない。
たまたま地域が近くて、たまたま年齢が近くて一緒になっただけのあらゆる環境が違う人同士に仲良くなれって言われたってそりゃ無理な話。
でも、学校という悪い面に集団が善、個が悪というような側面は存在していた。
一人ぼっちはさみしい、一人ぼっちは良くないみたいなね。
大人になって1人でカウンターでラーメン食べるのに寂しいとかいちいち思う?
思わないよ。むしろ気の合わない人と過ごす時間の方が最悪だね。
大人になった今なんて集団行動なんて最低、個人行動大歓迎だ。
ただそうはいってもしばらく子どもの人生には集団行動が伴う。
自分の大人の価値観だけを押し付けて溶け込めなくなっても大変。
生きるために大切なことは教えてあげたいと思いつつも何をどこまで貫くことが大切か、妥協点はどこかは日々模索して子どもにとっていい事は何かを考えて過ごしている。
