のぶろぐ13。

毎日が夏休みの人生。

自分は特別というおじさんの心情。

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自称特別なおじさんの特徴。

 

世の中には自分の事を特別な人間と自己紹介してくれる人が多い。

特に年齢が上になるとこの行動は顕著になる。

そんな人たちを見ていて思ったこと。

 

 

 

自称普通ではない特別なおじさん達の生態

特にイタリアフランス車に乗っている人や古い謎国産車に乗っている人に多い自称変態おじさん。

『こんな車に乗ってるなんて変態だよねwww』

『こんな車に乗れるのは変態だけだからwww』

『わかります?変態ですよw』

 

そうか?ただのボロイ普通車に見えるが、、、。

自分がもし変態に見えるとすればエンジンのシリンダーの動きに連動してフロンドボンネット上に突き出た3メートルの男性器型オブジェが上下に激しく動き続ける、とかの車に乗っている人がいればこの人は最高の栄誉と誉め言葉を交えて

『あなたは最高の変態だ!』

と言いたくもなるが、自己紹介してくれる人の大半、、、というか全員は普通の人だ。

 

『足車にフィアット500ですよw変態にもほどがありますよねwww』

『家族でお出かけにフィアットのパンダですからねwおかしいですよねw変態にしかできないwww』

『現代において足車が敢えてマニュアルだからねww変態で申し訳ないwww』

 

キツイって。

その空気感がキツイ。

近寄れないオーラがもの凄い。

 

そういえば太古の大昔にサラリーマンをやっていた頃も

『俺は会社では異端児って呼ばれてるんで。』

『俺の考えは普通ではないんで。』

とふんぞり返る普通のサラリーマンがいた。

 

サラリーマンをやっている時点で普通の人確定なのよ。

 

以前にも見栄超人の記事で書いたが、評価とは本来他者がするもの。

自己評価など本来の評価ではない。

 

オータニ選手は凄いと世界中の人が言うから彼にはすごいと言う他者評価が付いて回る。それに対して自分が『でも自分の方がもっとオータニ選手より凄いけどね』と自己評価したところですごいと言う評価の認知は得られない。

 

本来評価というのは他者がするものだが、誰にも評価されない人は自分で自己評価をしていく例の一つだと思っている。

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何に乗っていたら特別も普通も無い

何に乗っていたら特別で何に乗っていたら普通なのかなんて事無い。

自分が特別でいたい、これはみんな心の中にあることだろうけど歳を重ねて恥知らずにこんなことを全開にしていると物凄く痛い人になってしまうので、反面教師にして生きて行かねばいかんと思っているところ。

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