今までの人生、これからの人生。
自分は学生時代は劣等生だったので全ての先生から『そんな考え方では社会に出て絶対通用しない!』と言われ続けてきた。そんな自分の過去と現在、そして現在から未来についての橋渡しの方法を考える。
学校の先生の目の敵
自分は学生時代は悪ガキだったので先生に嫌われていて、小中高大学と全ての学校の先生から
『そんな考え方では社会に出て絶対通用しない!』
と励ましのコメントを頂いている。
全員が右を向いても右を向いたら陽があたって眩しいので、自分は左を向くタイプだった。
そんな協調性のない行動をとる自分の事を先生たちは心の底から憎悪し、大嫌いだった。
まさに彼らにとって自分は目の上の金玉だった。
だがしかし、クソ学生の烙印を小学校から大学まで押され続けても現在の社会に出ている自分はそんなに悪い人生とは思っていない。
好きなことできるし可愛い子どもも家族もいるし、家もガレージも時間も車もある。
やる気はないが。
社会に出て通用してないだろうか。
成功している人のカテゴリには入らないけれど一般人としてみれば通用してないほどではなかろう。
そう考えると先生の将来の読みは大きく外れた。
学校の先生が語る将来の成功なんてものはその程度だ。
ところで、自分の子どもには何を教えていくかはよく考えている。
サラリーマンとして生きていくならば右見て左見てという行動は重要になるだろう。
学校ではそんな教育が大半だった。
今は個人の主体性を重んじた教育などと言っても、所詮は鳥かごの中での話だ。
学校の授業を一つも受けないなんて選択はできないだろう。
人は経験したことしか理解することが出来ない。
学校の先生の大半は経済的にも時間的にも自由を持ってないので、その価値観は労働者ベースの価値観に寄る。
右見て左見て行動、相手の顔色見て行動、長いものには巻かれる行動、目立たない行動、悪いものをはっきりと悪いと言わない行動、やったこともやってないという行動。
日本のサラリーマンの世界では大切にされていることだが、世の中生活するための方法はそれだけではない。
自分で事業を興すのであれば他人と同じことをやっていても仕方がない。独自性が物を言う。
だが、サラリーマンしか経験したことが無い人が考える独自性と実際に事業を興して日々奮闘している経営者たちが魅力に感じる独自性とはまた全然違う。
従来の学校式で行けば狭い考え方によってしまうと思う。
後者の経営者視点での考え方だけを教えると本物の社会不適合になる可能性を広げてしまう。
このバランスを取って教えていくつもりでいるが。
現在と未来
世の中は日々変わっているのでその変化を敏感に感じ取る事が大切。
こうすればいい、必ずうまくいくなんて事は絶対にないので柔軟に対応できる思考を持つ事が可能性を広げる。
自分の子どもには親よりもいい人生を歩んでほしいと思う。
過去から現在を振り返り、現在から未来を見据える。
自分が何が残せるか、何を取捨選択して子どもに教えていくか日々模索している。