幸せのハードルが低くなった人生。
昔は色々こうでなくてはならない!!
とかわけわからんことを鼻息荒げて宣言していたが、年齢を重ねた今は自分の人生に満足して大抵のことはいい意味でどうでもよくなっている。
昔の理想と現在
一番底辺だった頃の妄想によると最高に憧れたのは彼女の飲み会の送迎にスーパーカーでわざわざ行く事だったが、そんな程度の事に最高に憧れていたのは自分の生きている世界が小指の爪ほどしかない狭い世界だった証拠でもある。
結局その妄想は一度も達成せず現在に至るが、その後に思ったのは何度か行く高級ホテルの他のお客さんを見て
自分もスーパーカーでホテルに行きたい
という新しい妄想だった。
エントランス前に勢ぞろいするスーパーカーを見て触発され自分でもそう思ったのだが、うちにあるのはポンコツなので常時渋滞している首都高の渋滞に耐えられる自信も無く、あの車線変更時に危険が伴うジャンクションも右後方の視界ゼロの車で行く勇気もなく、いまだに実現していない。
そして一番はここだが、家族みんなで車に乗れない。
1人で旅行に行くならバイクで行く。
車で行くならみんなで行く。
そこに無理に二台で行くという選択肢も無いのでその妄想も実現せずにいるが、最近では加齢とともにいろんなことがどうでもよくなっている。
くさいのくるまで行った親子旅から
先日娘と急遽コンラッド東京へ行く事にした。
道中で3回事故渋滞に遭遇したが、クラッチが軽いZだったので操作が面倒なこと以外は問題がなかった。ポンコツで来ていたら滝汗になるところだった。
あれから年齢を重ねた今、車とか家とか服とか。
心底なんでもいいと思っている。
自分が満足できるかどうかだけ。
特にファッション性の強いものは自分に似合っているかどうかが重要だと思っている。
車は何で行こうと家族みんなや子どもと出かければ楽しい。
その楽しい時間の邪魔にならなければ乗り物などなんでもいい。
服もなんでも良い。
大昔は輸入車ディーラー行くのに精いっぱい背伸びをして金持ちのフリをしていったものだった。
今ではなんでも良く、わざわざ高級時計をしてブランドバッグを持っていく事も無い。
色々、どうでも良くなっている。
周りの目を気にして生きているとどうしてもつまらない価値観にとらわれがち。
本当に自分のやりたいことは何か、何が一番うれしい事で楽しい事かって気づけたので良かったと思ってる。