挑戦と批判。
何か新しいことに挑戦すると無限に底辺が批判してくるのは何百年も昔から変わっていない。情報がないだけできっと何千年も昔もきっと同じだっただろう。
挑戦を評価する心と批判する心の出所。
新しい事への恐怖
元来人には現状維持バイアスが働き、新しい変化を受け入れる事よりもそのまま何も変わらず過ごすことの方が快適な心理が働くことが知られている。
多くの人は変化を恐れる。
だから、壮絶なブラック企業に勤めていても転職は一切考えず
『次に行くところはここよりも酷いところの可能性がある。それだったら今の方が慣れてる分だけマシ、、、。』
という人を何人も見たことがある。
変化すると色々変わるので勿論色々面倒な気持ちも理解できる。
だが、過去を振り返ってみると大勢の批判からどれだけたくさんの名作が生まれてきただろうか。
大抵世の中に大きな変化をもたらすものはいきなり好意的には受け入れられず、登場したときは猛烈な批判にさらされる。
ギブソンのフライングVが67年に登場したときは全く受け入れられず、そんなギターを使ってステージに立っているミュージシャンなどただの間抜けだった。
しかし今ではギブソンのフライングVは同社の代表モデルとして地位を築いている。むしろ憧れる人も多い。
自販機には今や当然のように必ずお茶があるが、当時は外で買うジュースと言えば甘い飲み物と相場が決まっていた。そんな中、どこのバカが金出してお茶なんて買うんだよ、、、鼻で笑われて現在はどうなっているのだろうか。
お店によっては自販機の端から端まで黒ウーロン茶しかないお店まであるほど、自販機のお茶は市民権を得ている。
しかし、当時は多くの市民に嘲笑されて登場したのである。
BMWと批判
過去を鑑みれば否定されているものは今後大きく名を残す可能性がある。
そしてもう一つ、大抵声を大にして批判するのは一般人でありついでに言うと買えない人達が圧倒的に多い。
見た目がダサい、〇〇が良かった、これが好きだった。
勿論それはそうだが、声を大にする多くの人は現行モデルを購入するお金は無い。
GTRオートマだもんな~。MTだったら買うのに。
ラフェラーリオートマのみか~。MTあれば今の軽トラの代わりに買おうと思ったんだけど。
こんな調子だ。
BMWを例に出してみよう。
巨大な鼻はマキバオーのようだ。
当然、そこら中から否定の声があがる。
ダサすぎる、でかっぱな、マヌケ、基地外、あほっぽい。
それでは言ってる人のどれだけの人が新車でBMWを購入できる層だろうか。
個人的にはデザインは勿論好みの差はあるものの、デザインはその車を構成する要素の一つに過ぎない。
ほかにエンジンやオーディオ、足回り、ブレーキ、シート、快適機能、先進機能、独自の取り組みなど山ほど魅力はある。そこに目を向ければ今までの従来のBMWとは全く違うと言っていいほど大進化を遂げたBMWだということがわかる。
となれば、旧知のデザインではなく全く違う先進的なデザインをまとった方が今までとは違う新たなBMWという事を視覚的にも見せられる。
BMWは昔のデザインが好きだった、、、今ではもう、、、。
BMWはそっちを見ていないと思う。
結局買ってくれないとどうにもならない。
過去のBMWなんて大して興味がない、若い層を取り入れようとしているように見える。
実際買っている人はいるわけだし、新しいことに挑戦している層には響いている。
自分はなんも挑戦してないが、BMWの過去モデルなんて大して興味ないし知らないからデザインがどうとか全然興味なく、最初からこういうデザインの車というイメージで見ている。
そしてi8のように率先して新しい挑戦をしているBMWの事は自分はとても好きなのである。