若い頃の経験の重要性。
若い頃に無茶をした人は、自分より若いけど無茶をしている人に寛容だったり応援したりできる。
反面、若い頃に経験しなかったことは年齢を重ねると自分の人生の項目リストに載っていないので、なんでも頭ごなしに否定するしか出来ない年配者も多い。
体験してない事が理解できない年寄り
30代半ばも過ぎると多くの人が発症する病気の1つに『教えたがり病』という有害な病がある。
何かにつけて相手に教えたがり、自分の浅く狭い知識をあらゆる場面で披露しようとする人が増える。若者たちは年長者の話は聞かざるを得ない状況も多いので無理やり苦笑いで相槌を打つものの、そんな事を一切汲み取る事ができないおじさん&おばさん達はまくしたてて話すわけだ。
迷惑な事この上ない。
そして話好きの人のごく一部を除いて大半の人は話の内容が無く、ただただ長いだけの事が多い。
これには理由がある。
話が面白い人には以下の条件がある。
・人生経験が豊富で人とは違った目線で生きている
・頭がよく、文章を要約して楽しくまとめて話をする能力がある
の二点。
世の中の大半のおっさまたちがこの能力を備えているはずもなく、人と大差ない人生を歩んできただけなのに頭が悪いから話がただただ長くつまらない、という現象が世の中に起こるのである。
そして彼らの多くは自分が経験してない事は理解できないので、自分の理解が追い付かない事はなんでも貶す。
ちなみに大半の事には理解が追い付かないので大半の事は貶す。
自分が若い頃は国産スポーツカーの〇〇に乗ってたと。
自分が乗っていた国産スポーツは毎回車検も15万円を超え、凄い維持費で180馬力と出力もすさまじい。自分以外にコントロールできないほどだったと豪語するが、現在自分の友人がフェラーリ乗ってるよなんて若者が言おうものなら
『世の中走ってるフェラーリの97%だったかな?79%だったかな?あれ、全部レプリカだからね!』
などど話題を強制中断して自分の話に持って行くという常套手段も持っている。
残念な事ではあるが世の中こんな人はとても多く、年齢を重ねて教えたがり病を発症したおじさんやおばさんが集まる場所には極力行かないようにしている。
能力の高い人もいるけど極僅か
世の中には人間性に富んだ素晴らしい人もいる反面、どうでもいい感性の人も非常に多い。人口ピラミッド見ても素晴らしい人が圧倒的に少ないのは当然。
街を歩いているだけで世の中の最先端を、流行を感じられる都市部と、仕入れる情報源がテレビのみの地方の差はとてつもない。
そうでなくても結局人は自分の経験した事しかわからない。
最近は貧富の差が猛烈に大きくなっていると言われるが、お金の問題じゃなくて心が貧しい人が半端なく増えているのが気になる。