センスの良い人と悪い人の違い。
世の中にはセンスのいい人と悪い人がいるがセンスに関しては先天的なものだけではなく、後天的に身につけられる要素も多い様子。センスの正体とは一体。
センスがいいとは
センスがいいとは一体どういうことか。
このセンスと言う言葉は前後の文脈で意味が変わってしまう難しさも持っている。
例えば”初めてスキーをやったけれど呑み込みが早く上達が早い人に対してのセンスがいい。”
これはどちらかと言うとセンスがいいよりも”筋がいい”がより話の流れに即しているように感じる。
センスの良さについてはセンスは知識から始まるという著書で水野さんが以下のように話している。
「センスのよさ」とは数値化できない事象のよし悪しを判断し、最適化する能力である。 おしゃれもかっこよさもかわいらしさも、数値化できません。
しかしそのシーン、そのとき一緒にいる人、自分の個性に合わせて服装の良し悪しを判断し最適化することはできます。それを「かっこいい、センスがいい」というのです。
出典元:センスは知識からはじまる | 著者:水野学
数値化できない事象の良し悪しを判断し最適化する能力。
自分だけではなくその状況、周りにいる人にも合わせて判断する能力をセンスが良いと言う。
実は素晴らしいファッションセンスな組み合わせだとしてもそれが理解できない自分のような凡人ばかりがいるところで披露してしまうと、ただの奇抜な人扱いになってしまうのと同様。
周りの人のレベルに合わせる判断、その中で最善の判断、そのシーンにふさわしい服装を選ぶ能力、なるほど。
センスを身に着けるために必要なこと
冒頭でも述べたようにセンスは後天的に磨くことができる。
そう、磨く事ができる。
どうやって物体ではないセンスという感覚を磨くのか。
それには良いモノばかりに触れ大量の経験を積み、自分自身で選択していくことが大切なのだという。
カッコいい風ではなく本当にかっこいいもの。
美しいっぽいではなく本当に美しいとされているもの。
人工物でも自然でも芸術でもあらゆる良いものに触れる。最上位の世界を知る。
そして周りに流されて、、、ではなく自分自身で選択したくさんの経験を積む。
色々やってみる。
その中でたくさんのトライ&エラーが生じる。
ここが日本でなければ絶賛されていたものを披露して不評を買う事もある。
その結果、国内で披露する場合は国内レベルに落とした表現方法で伝えると言ったように。
例えればカレーみたいな。
日本で修業した料理人が海外で、または海外のレストランで修業した料理人が商売をする地域の味覚に合わせて味を調節する。
これこそがセンスという話だ。
それにはたくさんのいいもの、本当に美味しいものに触れてたくさんの料理を作って失敗して、自分の料理を食べてくれる人達が喜ぶ味を理解しなくてはならない。
自分が住んでいる地方限界集落では世界一カッコいい車は
タイヤを八の字にした6本出し調マフラーの黒い国産ミニバン
と言われている。
つまり、センスを良くしたい、磨きたいと思うのであればこんなバカを相手にしていても時間のムダという話である。