他責思考と自責思考。
世の中の全ての人間に言える。
他責思考は底辺、自責思考は今後伸びる。以上。
底辺に多い他責思考
どうしてできないんだ?!
→貴方の教え方が下手くそで的を得てないから。
アイツのせいでうまくいかなかった。
→お前のせい。
世の中がもっとおれ、私を正しく評価できるようになりますように。
→正しく評価してるから今の扱い。
アイツだけは許せない。
→自分はなんでも許しちゃう。
俺に意見するな!誰だと思ってる?!
→話が聞けないからその人生。
人生がうまくいってない人全員に共通している事がある。
それはうまくいかなかった時に他人のせいにすることだ。
これは全ての該当する人に言える。
絶対に自分が悪かった、、、とは出てこない。
反対に人生がうまくいっている人はうまくいかない事があったとき自分のせいにする。
自分の過去の人生で、どの時点で違う選択を取っていれば今回の事態を避ける事ができたか、、、と考える。
それを考え失敗した箇所を発見し次回に活かす。そして次は同じミスはしない。
こうしてミスをすればするほど人生はより正しい選択しか残らなくなる。
これが底辺だと相手が悪い、、、それだけで自分は一切悪くないので、自分には何の責任も無いと考える。全ては相手が悪く自分に悪い所は1つも無かったので反省する事もない。だから、何歳になってもずーっと同じミスを繰り返す。
これが人生がうまくいってない人とうまくいってる人の一番の違いなんだ。
言葉の端ににじみ出る人間性
先日、外見は一番外側の内面だという記事を投稿したがまさに同じような話でその人の見た目や使う言葉、考え方にその人の生きざま全てが現れる。
結果を見なくても、考え方や見た目、所作など生き様を見れば凡その事は想像できる。
その位よくわかる。
以前から言い続けているが、田舎のどこかでも時々見る頑固おやじが作った〇〇という銘菓。世間一般論としての話なんだが、頑固でいることって褒められたことじゃないんだ。
頑固でいる、自分の意見を曲げない、他人の意見も話も一切聞かない、なんなら自分の話を被せる、、、これで仕事できる人尊敬できる人あまりいないんじゃないかな?
少なくとも、自分の周りには1人もいない。
歳をとっても他の人の話をよく聞ける人は凄いと思う。
歳をとって俺が俺がと自分の話しかしなくなる人はマヌケだと思う。
だから頑固なんてのは褒められたことではない。
新しい価値観を受け入れる器のない小さな人間なんだ。
極まれに凄くこだわって手作業で、、、という時に頑固にという言葉を使う事もあるがその頑固は特例。頑固と言うかこだわり。
大抵の頑固は評価されるものではない。
うちのおじいちゃん頑固だから聞かないよ、、、。
これはいわゆる普通の人、何なら普通以下。
高齢なのに教えてくださいと若者に言える人はホント凄いと思う。