子どもと過ごす幸せな時間。
普段は3歳の娘を連れてどこにでも出かけている。
お陰で出先ではいろんな人に気にかけてもらえ話しかけてもらい、親の自分も楽しい時間を過ごしている。
子どもや家族と過ごす時間が楽しいので本来やろうと思っていた乗り物趣味はどこかへ行ってしまった。
子どもと過ごすかけがえのない時間
ここ何年かでは自分が欲しかった物で手に入れられる物は、ほとんど全て手に入れて体験することができた。
幸運な事に当初乗りたいと思っていたバイクにはほとんど乗れたし、欲しかった車や乗りたかった車に近い車も乗れている。
色々乗ってみた結果、自分自身で経験して気が付いたことがある。
例えばバイクの場合だ。
バイクは何かを手にれるとその乗り物に興奮して始めは楽しい。
走行距離500km位まで。
その後、そのバイクの欠点がわかりその欠点を補完していると思われるバイクを探しそれを欲する。
新しいバイクを手に入れて感動し最初の400km位は感動するがその後、新たにそのバイクの残念な点を発見しその欠点を補完するバイクを探す。
そしてまた新たなバイクを手に入れて楽しくて300kmほど走ると、そのバイクの欠点が浮き彫りになり、その欠点を補っているバイクを見つけ購入する。
手に入れた新しいバイクで200km位乗ると、そのバイクのダメなところが浮き彫りになり、、、
これを一生繰り返している事に気が付いた。
所詮モノで得られる満足感などたかが知れているし、繰り返せば繰り返すほど感動も薄らいでいる。
最初はようやく来た納車だが繰り返しているといつもの事になり、納車日も頼んだことすら忘れる。実際そんなに好きでもないのかもしれない。
車の場合はまた違ってQ8に乗って同様に欠点が見つかった。
それを補完する車が見当たらなかったし、バイク以上にどれに乗っても同じだった。
運転席に座ってスタートボタン押して、大きな画面にデジタル表示が立ち上がって、走行モードを選んで淡々と走る、、、だけ。
全然興奮が無くて、大きな感動もないのよ。
どのブランドも差がほとんど無い。極端な話、エンブレムが違うだけくらいに感じる。
ところで子どもと2人で出かけると必ずと言っていいほど出先でイベントが起こる。いい事も悪い事も。
そして子どもの行動に一喜一憂し一日中そればかり考えている。
車乗ってる暇ないし、バイクに乗ってる暇ないし、ギターを弾いてる時間も無い。
でも、妻に子どもを見ててもらって好きな事してきていいよと言われても、家族みんなを連れてどこかへ行きたい、どうせなら時間を共有したいと思う。
自分にとってはそれが一番楽しい。
モノで得られる幸せは瞬間的
所詮、モノは物以上にはなれない。
自分にとって。
どんなモノも時間が経つと熱が冷め飽きる。
ハイパー極貧時代、スーパーカーを持っていて高級車を足車にしていてバイクも何台もある生活できたら、嫌な事なんて一つもないだろうな、最高の人生だろうなって思った。
本気でそう思ってた。
実際、それに近い状況になっても全然そんな事ない。
アフリカの一部地域からすれば
『蛇口をひねれば安全でおいしい水が飲み放題なんて最高過ぎる!!』
って言われても我々日本人は蛇口の水がそのまま飲めても
『やば、、、。毎日が幸せ過ぎる、、、。』
って思わないでしょ?
何ならそんなの当たり前だし、、、と思うはず。
車やバイクやブランド品も自分にとって同じ。
今うちの娘は昨日からミニオンが劇中で食べていた
『コックポーンが食べたい。』
と言い続けている。
ポップコーンと正しい名前を教えてあげるべきか、そのままコックポーン呼びが可愛いから合わせてコックポーンと言っておくか。
そんな事を考えているとニヤニヤしてしまう。
楽しい。
自分には子どもや家族と過ごす時間が楽しい。
一番楽しい。