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お金と健康。
尻が青く極貧だった頃は自分に何もなかったので、お金こそが全知全能だと思い健康を犠牲にして寝る間も惜しんでお金を求めた。お金持ちになるために全てを犠牲にしたようなものだ。
で、年齢を重ねてわかったがお金には健康ほどの価値はない。
人生に於いては健康が何よりも大切。
収入における健康の価値観
極貧時代は健康を犠牲にしてお金を求めたが、そこまでの極貧を脱すると次はお金をかけて健康を求めるようになった。これは自分に限らず周りの多くの人がそうなっている。
極貧時代は食べ物が体にいいとか、悪いとかそんな概念が自分の中に無かった。
栄養なんて考えなかったし、ぶっちゃけ
うまいか、まずいか。
腹いっぱいになるか、ならないか。
それだけ。
体に悪い食材を使っていようと古い油を使っていようと、人体に有害な調味料を大量に使っていようとお構いなし。
今では昔よりも食べ物の良し悪しがわかるようになった。
昔は美味しいと思っていたものが今では美味しく感じられなくなった。
石器時代から続く当時からの古い友人が大のラーメン好きで、大行列のラーメン屋に一緒に行くことがある。
今ではお店の外まで漂ってくる古い油の匂いで吐きそうになるが、そうなっているのは自分だけで石器時代の友人も、そこにいる毛玉だらけのTシャツとジャージを着ている大勢のお客さん達は誰一人気にしてない様子。
皆工場からそのまま履いてきたような真っ黒なスニーカーを履いてきて、店内で大声で電話しながら、クチャクチャと1km先まで聞こえるほどの咀嚼音を立てて食べているのをみると、何十年か前も自分もここの住人だったことを思い出した。
やはり、体に悪いとかそういう意識は無さそうに見える。
自分もそうだった。
場所が変わってラグジュアリーホテルに行くと例えば朝食1つとっても、ありとあらゆる健康食品が揃っている。
ヨーグルトも一つだけではなく複数の種類が置いてあり、卵もこだわりの卵、納豆も豆腐も海苔も全てこだわりが反映されたものが置いてある。
上質なモノがたくさん置いてあるが、それでもみなそれぞれ厳選して自分の好みのモノを少量ずつ取って食べている。ほとんどのホテルにはプールやジムも併設されており、そこに来る人々の健康に対する意識が全然違う。
壊したら治らない健康
人の体は繊細なので一度調子を悪くしてしまうと機械のように部品交換ができず、元通りに直せないものが多い。
そしてどんなにお金があったとしても、体のどこか一部分でも痛い所や調子悪いところがあると気持ちが萎える。複数個所あれば尚更だ。
健康を害してまでお金を求めたところで、結局のところそのお金を心からの笑顔で使う事ができない。
それなら、そもそもお金なんて無くても健康であるという宝物を持っている事に気づくことができれば、なんだってできる。
どんなにお金持ちになっても病気はお金で直せないし若返る事も出来ない。
幸せはみんな失ってから気づく。
健康が一番大切。
そして時間が大切。
健康な事はかけがえのない財産なのでこれは大切に守りましょう。