暑い日はレトロゲームでラララ。
ヘビー級のゲーマーではなく少々遊ぶ程度だが、先日switchの古いFFを購入。
朝早起きしたのに暑すぎてバイクに乗れないときとか、子どもが寝た時とか少しずつ遊んでる。昔のグラフィックで現代のアレンジされた高音質サウンドの組み合わせがいいな。
誘惑が多い現代
我々が子どもの頃など娯楽などは皆無だった。
今の若者には信じられないだろうが。
自分が過疎エリア出身だったことも原因の1つであるがそれにしてもテレビ1つ見るにも、近所で一番のお金持ちの山下さんちに全員で集まって正座して見るしかなかった。
外で遊ぶと言えば今日は山に行くか、或いは川で遊ぶか。
明日はどうしようか。川に行こうか、いや山に行って遊ぼうか、そんな日々だった。
山と川しかない田舎だったが、そんな田舎でもようやくテレビゲームが都会の5000年遅れでやってきた。
都会の保育園や幼稚園児がスマホに夢中な時、何でも流行が遅れてやって来る田舎の我々はファミリーコンピューターに夢中だったものだ。
それが大人になった今でもこうして現代のハードで楽しむことができる。
これは素晴らしい事だ。
大人になって子どもの頃には考えもしなかった事を考える。
どうしてこんなに何度も同じレトロゲームが繰り返し再販されるのだろうか。
自分の予想は2つ。
①初期モデルこそが至高の名作だったから。
②ゲームを購入する一番ターゲットの世代が我々のような世代だから。だから、その世代に受けるような縄文時代のゲームを繰り返し手を変え品を変え、お金を払わせる。
この2つが原因ではないかと予想しているが、何にせよ過去は美化されるので実際問題初期の頃のゲームは名作が多いと信じて疑わないのは事実。
ゲームでなくても昔の思い出は美化される。
(ファミコンジャンプというゲームはなかなかのクソゲーだったと記憶している。)
実際、ドラクエ5なんて何度購入しただろうか。
現代のアレンジされたキレイな音楽でプレイする事も、当時のままのファミコン音質でプレイする事も出来るswitch版FF3。
とても懐かしい。昔やったゲームで遊んでいると、その頃に好きだった事とかハマってた事とか思い出す。
年配の車好きにどんなフェラーリが好きかと言えば
『328までが究極だった。』
とか結構な確率で言う。
ランボルギーニはどうかと聞けば
『新しいモデルで言えばカウンタッククワトロバルボーレとかいいよね。』
全然新しくないが。
皆自分が青春時代に憧れた車が大好き。
かくいう自分も古い物が好き。
この辺は子どもの頃に憧れた事もあって、現車を見るとグっと来るものがある。
新しい物は新しいので勿論いいんだが、先日フェラーリの296チャレンジの走行も見たけど写真も動画も取らず帰ってきた。
あんま興味ないのよね。
きっと似たような人がゲームの世界でも多いのではないか。
暑い日は外で遊べないので、しばらくはゲームでもやって過ごそうと思っている。