否定と許容。
ここ何年も何かに対してイライラする事も無いのだが、世間では様々な憎悪が湧いている事は知っている。余計な憎悪の炎を貰わないで済むように気を付けているところだが、自分なりに考えた相手を否定する人と許容する心についてのお話。
他者を否定する人は自分に自信がない
上記の通りだが、他者を否定する人は自分自身に自信が無い。
初めてサーフィンをやった。
ひっくり返った。
バカにして大笑いするのは昨日まで初心者だった自分に自信の人間だけだろう。
スノーボードをやった。
逆エッジで派手に転んだ。
それを見て大笑いするのは、やはり自分に自信の無い初心者にムダ毛の生えただけの素人だと思う。
自分は車はあんまりでバイクが好きだが、例えば周りの知人友人が自分が持っている車バイクより安価な車を買ったと自慢していても、バカにして水を差そうという気持ちに一切ならない。
欲しかったものを手に入れた。
こんな喜ばしい事は無い。おめでとうと思うよ。素直に。
高い物を買ったとしても同じだ。
別に安いも高いも関係ない。
安くてもいい物はたくさんあるし、高いだけで何にも中身が伴わない物も同じくらいたくさんある。
欲しい物をついに手に入れた。
それを聞いて
・しょぼ!!
・ダッサ!!
・やっす!!
・ないわ~!
・俺だったら私だったら〇〇買う!!
こういうことを言う人がいれば、申し訳ないが大変情けない人間だと思う。
経験上、成功者の多くは他人の成功も喜ぶことができる。
そして底辺は輝いているように見える人の足にしがみつき、ズボンを足首まで下げようとしてくる。
こんな違いがある。
これはいろんな人を見てきたが例外が無い。
”憧れだった高級車を買った!”
これにおめでとうと祝福できるのは経営者か同じような器の大きさを持つ人間だけだ。
大抵の底辺は
・しょぼ!!
・ダッサ!!
・やっす!!
・ないわ~!
・親の金でしょ??
・俺だったら私だったらそんなんじゃなくて〇〇買う!!
と猛烈に批判して自分が敢えて高級車を持たない理由を永遠に説明してくれる。
誰も聞いてないのにね。
なんでそんなことするかって?
自分に自信が無いからだ。
相手への批判は自分自身の自信の無さとコンプレックスの表れ。
言葉の大切さ
言葉は大切。
フェラーリを購入できる力を持つ人は『フェラーリは買えない』と言う。
逆立ちしても買えない層は『フェラーリはいらない』と言う。
”まだまだ自分なんかにはフェラーリなんてとんでもない!そんな高級車を買うような身分じゃありませんよ!”
という人と
”買おうと思えばいつでも買えるけど敢えて要らない。”
と自分はそれ相応の力をあるんだけどね、と見栄を張る人の違いがこの一言に出る。
日々SNS上では低レベルなののしり合いが勃発している。
マウント合戦が繰り広げられている。
そんな自慰行為のような自分が満足するだけのメッセージを相手に打ってる暇があれば、ビジネス書の1つでも読んだら?と思うが、そうはならない人が今はとても多いらしい。
人は変わらないし変われないので、気が合わない人は放っておきましょう。
自分は上記の底辺の才能がある人とは1秒以内に縁を切ります。
人は付き合ってる人の平均になるからね。
貶し合うより、お互い認め合って褒め合ってる方が楽しいじゃない。