高級店の存在意義。
高級店はお金持ちが行くところ!俺たちには関係ない!
そう思って過ごしていた昔と、実際行ってみて経験してたくさんの事がわかった今。
高級店の存在意義を考える。
何もかもが一桁違う高級店の存在意義とは
さて、最近は誰かと話すときは結論から話すことにしている。
日本語は最後まで話を聞かないと内容がわからない文法になっている。最後まで聞くのが面倒だし最後まで話を聞いてられない人も多いので、まずは結論から話す事にした方が色々上手くいく事に気が付いた。
で、高級店の存在意義の結論。
①記憶に残る体験
②おもてなし
③アホ客からの隔絶
この3点だと自分は思っている。
①記憶に残る体験
これは多くの人が経験した事がある通り、自分にとってちょっと高級で特別な日にしか行けない高級店に行ったことは思い出に残る。
そしてそのことは長い年月記憶に残る。
ファストフード店で毎日安価に食べていても
『去年の今日に食べたファストフードの味はどうだった??』
と聞かれても絶対に覚えてない。
それに対して高級店での食事に記憶に残る。
②おもてなし
一般的に高級店はホスピタリティを大事にしている。
昨年、どうでもいい安価なラーメン店に行った。開店直後に行ったがたくさんあるテーブル席は全部空いてる。
カウンターだけほぼ満席で両側に大男がいるカウンター席に通された。
その隙間は僅か5cmほどしかなく店員のオババに”すぐ出るからこっちはダメ?”とテーブルを指しても
『絶対ダメ!団体のお客さん来た時に座れないから!』
と断られたのでしぶしぶ体を真横にして椅子に腰かけた。
ラーメンを注文し自分のラーメンが運ばれてきて店員のオババが言った。
『ラーメン置くから一度席を立って!』
横からラーメンを置くほどの隙間もないスペースに人間を座らせるんじゃないよ。
その後横向きに食べたので禄に食べた気がしないまま店を後にしたが、その間もその後もテーブル席はずっと空いていてお客さんは誰も来なかった。
こうしたとぼけた事が高級店に行くと少ない。
まず満席だったとしても基準となる一人当たりに用意しているスペースも遥かに大きい。せっかくの楽しみの食事がつまらんことで気分が悪くなることが無い。
お客さんが快適な食事を過ごせるように配慮してくれる。
個々のニーズに応じた用意もある。
安価な店に行くのであれば全て我慢しなくてはならない。
文句があるなら他所に行け!
確かに。
だから行きません私は。
先日コンラッドに食事に行った時に急いで出掛けたので子どものエプロンを忘れてしまった。
もしあれば、、、と思ってスタッフさんに聞いてみたら幼児用の立派なエプロンを貸してくれた。流石。
③アホ客からの隔絶
お金ない人が悪い人ではない。
お金ある人が善人ではない。
良い人悪い人にお金の有無は関係ない事はみなが知っている通り。
だが、お金を稼ぐことができる人の多くは『マナーやモラル』を身につけている人が多い。
安価な店であれば隣の人がハイパーなクチャラー、超絶汗臭い、汚い、ずっと携帯で大声で電話していて煩いという事はしばしば。
高級店に行くとこのタイプのお客さんは激減する。
ほぼ見たことが無い。
100円寿司で運動会しているような家庭もいない。
遊び回ってる子どもをほったらかしの親もいない。
ドレスコードもあったりするようなホテルであれば尚更、そんなのメンドクサイ!!と嫌う彼らは寄り付かないので一層気持ちよく食事ができる。
これはかなり結構有効。
高級店は客層が全く違う。
先日行って来たコンラッド東京のレストラン風花ディナーのメニュー例。
一番安い食事コースが1人2万円。
こうなるとここで晩御飯を食べられる人は激減。
それでも食べたい人はその生活を楽しめる社会的な地位にある人か、我々のように特別な食事のために背伸びしてくる人が多い。
そうするとお客さんにバカ騒ぎする要素はないので店の平穏は保たれる。
以前コロナ禍のGoToキャンペーン時に高級宿に激安で泊まれた。
多くの底辺が殺到し、宿泊に行った我々は生ピアノ演奏のラウンジでの若者の一気コール、いい香りがする豪華なエレベーター内に吐かれたゲロ、ロビーの床に捨てられたごみを見て悲しくなった。
今では当時の3倍位の料金になり、一気コールもゲロも一切見なくなった。
やはりアホ客からの隔絶に一番手っ取り早いのは料金をあげる事だ。
こんな事から高級店は
『あんなのはただ高いだけ!』
と言って一定の大多数の層が来なくなることに存在意義があるお店の1つだと思っている。