外から見た会社。
毎日楽しく過ごしている。
生きていると楽しくない事も出てくるが、それも極力楽しい事に変換できるよう前向きに前向きに。
昔の会社勤め時代を思い出すと色々気づくことがあるのです。
スーパーカーが欲しい会社員から見える会社
自分も含めて人はそんなにキャパが大きくないので、例えば1つ大きなことがあればその前後数日間からそれ以上の日数はそのことで頭がいっぱいになる。
大きなことを抱えながら同時にマルチタスクでこなしていける人はそこまで多くない。
自分もそうだったが、会社勤めしている人にとって会社に行くことはそれだけで一大イベント。
その中で起こる事、関わる人、衝突や説得、不愉快な思いは人生の大きなウェイトを占める。
ここで注意が必要なのが何も考えずに生きてるとそのまま気づいたら〇〇歳!!になってしまう事だ。
人生はあっという間に過ぎ去る。
楽しい事をやっていても、くだらない事をしていても。
10年以上前の自分はフェラーリが欲しくてそれしか頭に無かったのだが、そのための労働であり会社員であった。
車が買える事が勝利であり、買えないことは全てが敗北だったため、会社内にいるとたくさん見る事が出来る昇進の椅子取りゲームや責任のなすりつけ合いは保育園のおままごと以下にしか見えなかった。
昇給して賃金が少し増えた。
立ち場が上になった。
役職を貰った。
全てがだから何?だったし、それが=フェラーリ購入可能につながらないのであれば全部が意味なし。
鳥籠の中で自分は他の鳥よりもおやつを多く貰った。
鳥籠の中で自分は他の鳥よりも1cm高い所に止まり木を取り付けてもらった。
鳥籠の中で自分は他の鳥よりも太い止まり木を用意してもらった。
という話にしか聞こえなかった。
私は鳥籠の外に出たいし、その中でしか通用しない話をしていても意味がないと思ったからだ。
人生は自分の考え方ひとつ
いい学校に入らないと!!
いい大学でないと!!
有名な企業に就職しないと!!
平社員じゃなくて役職貰わないと!!
ボーナス貰わないと!!
家族手当貰わないと!!
近所の人から賞賛される仕事に就かないと!!
世間一般では評価される上記のような事も興味がない自分にとっては
『俺は自宅のベランダで2匹のダンゴムシを飼ってるよ?』
と言われてるようなモノで、つまりは何も響かない。
勿論どれも否定されるべきことではないし、ダメな事ではない。
が、これらに固執して生きているのも抜けるのも自分次第。
自分がそれが大切だと思えば重要な事になるし、大切だと思わなければダンゴムシの話だ。
自分はフェラーリが欲しかったからたまたまフェラーリが価値基準になっただけで、そんなの興味ない人からすればそれこそダンゴムシの話。
人生に於いて
こうでなくてはならない
事は少しでも減らした方が生きるのが楽になるし楽しい。