用途は無し。
あまり車に詳しくない人と話すとしばしば質問されるのがこの内容。
『ランボルギーニは何用ですか?』
仕事で?平日に乗る?お出かけ用?ホテル行くとき??
答えは簡単。用途はないんだ。
ランボルギーニは何用ですか?
先日自宅ガレージを見た業者さんとこんな会話をした。
普段はアウディでお出かけするのですか?
そそ。
バイクは週末の遊び用ですか?
そそ。
ランボルギーニは何用ですか?
週末かどうでもいい用事用。
どうでもいい用事ってどんな用事ですか?笑
車に信頼性が無いから途中で停まっても相手に迷惑がかからなかったり、到着を待っている人がいない時の用事。
きっと一番高いのにその位でしか使わないのですね、、、。
何かちょっと理解に苦しむ、、、そんな表情をしていたが、自分で所有してみるとわかる。こんなんで遠くに出かけるのはほとんど労働でしかない。
また視界が狭いので初めての道には行きたくない。
右左折するときに少しでも高さのある縁石を見逃して激突する可能性もある。
一方通行の道に入ってしまい、長い距離をバックしなくてはならない事態が起こったら終わりだ。後ろなんて何も見えん。
東京の高級ホテルにスーパーカーで乗り付ける。
絵的にはバッチリだがあらゆる障壁を乗り越えてたどり着ける自信が無い。
そして、ホテルステイを楽しみに行きたいのに往復の移動で疲れ果てるのが目に見えているのでそれは避けたい。
それでもスーパーカーを持つ理由とは
近所を周る時はアウディだ。
少し遠くに行くときもアウディだ。長距離旅行になるとさすがにアウディだ。
週末にはバイクに乗りたい。
それじゃなんであんなポンコツを持ち続けているのかというと、シンプルに好きだからだ。
車は買ったんだから乗らなきゃ意味が無い。
乗らない車なんて持っていても意味が無い。
道具は使ってこそ価値がある。
多くの有識者にいろんな事を教えてもらったけれど、人生はそれだけではない。
ランボルギーニが自宅にあると、ある人には頑張るモチベーションになり、ある人には富裕層の世界の会員権となりうる。
またある人には実現した夢そのものであり、走りやサウンドで魅了してくれる愛車でもある。
スーパーカーは普段使う道具の枠を飛び出しているのかもしれない。
どちらかというと陶器や絵画に近い芸術作品の域だ。
そもそも道具として考えた時、あれらの車に存在価値は無い。
機械式時計も似たようなもの。
それが自分の所有物として存在しているだけで頑張れる、人生がカラフルになる。
そんな存在が必要なのよ。