子どもがもう少し大きくなったらしてあげたい事が色々。
振り返ると人生は早い。
あっという間に自分もお父さんだ。
今まではまだ若いからね、、、と散々言われてきたが、今では誰もそんな事言ってくれなくなった。人生においていろんなシチュエーションがあるが、どんな場面においても自分らしく生きて行く事を信条としている。
子どもが大きくなったらしてあげたい事。
自分がしてもらったら嬉しい事をしてあげたい
今は娘が小さいので家の中が退屈でどこかへ出かけたいという事はない。
家の中で充分楽しめる年齢だ。
それがいよいよ外の世界にも興味を持って楽しめるようになってきたら、子どもが望めばしてあげたい事はたくさんある。
娘ももう少し大きくなると保育園や学校が人生に登場して来る。
自分の経験だとこれらはあまり楽しいものではなかった。
勉強して知識を得るという目的は大切だが、それをわざわざ時間で区切って集団でおこなうメリットは見いだせない。いじめの問題、劣等感、人的ミスによるトラブル、感染症などありとあらゆるリスクがついてまわる。
この辺は人それぞれの価値観なので自分と違う価値観の人がいて当然だが、昔から学校はサラリーマン養成所だと思っているのであんまり重要だとは思わない。
生きていくために知識を身につける事は必要だが、そのための過程は学校に行く事1つではない。
だから娘が学校が楽しければとめる理由はないし、楽しんで行ってもらいたい。
しかし、もし行ってみて嫌な事があるようであれば自由に休ませてあげたいと思っている。
自分は学校が大嫌いだったのでありとあらゆるサボる方法を考えて、それを実践していた。学校に行くふりをして違う所へ行ったことも何度もある。
学校をサボる事を認めない親だったので家にいる選択肢はなかったんだ。
そんな経験から自分がしてもらったら嬉しい事を考えてた。
例えば娘が将来
『今日学校行きたくないな、、、。』
って言えば、親の自分は
【そうか、じゃあ今からディズニーでも行く?帰りには好きなご飯食べて、遅くなりそうだったらどっか都内のホテルにでも泊まってこようか。】
なんて提案をしてあげたい。
当時の自分がディズニーに限らずそんな対応してもらえたら嬉しいと思う。道中でいろんな話も出来るし。
勿論家にいる事だっていいし、水族館へ行きたいでも何でもよい。
結局のところ、自分の価値観において”しなくてはならない事”はほとんど無い。
小さな世界で生きているとその世界しか知らないのである意味何も問題ないのだが、ある面では大問題ではある。
世の中の大半のパート、アルバイトのおばちゃんや同じ会社に長く勤め続けてきたサラリーマンには多くこの傾向が見られる。
有休が自由に使えないのは当たり前。
希望休が取れないのは当然。
休んだらみんなに手土産持って行くのは当然。
連休を取るなんてもっての他。
普通は希望休取るとしても平日単発休みでしょう。
普通は社会人になったら自由な時間なんてそうもてないよ。
普通は普通は普通は、、、。
そもそも希望休とか有休とかが自分には面倒くさい。
休みたい時に休む!
学校に行きたくなければ、いかなければ良い。
行きたいのであれば、いけば良い。
知識は身につけて欲しいのでそこに関しての方法は考える。
子どもの時に休むことが許されなかった自分は、自分の子どもには行きたくないときは自由に休ませてあげたいと思っている。
人生は楽しんで生きる事が大切だと教えてあげたい。