人と同じも良し、違うのも良し。
このブログを書いている今は底辺の仕事ランキングなんて言う物騒な言葉が世の中をにぎわしている。記事をまとめた人は性格が悪そうだ。自分に言われたくないだろうが。
ところで仕事に関してはそれぞれが必要な仕事ばかりなので何もないけれど、自分の価値観を相手に押しつけ、従わない相手を攻撃する人は例外なく底辺の人だと決めつけている。
相手を攻撃する人は皆底辺の人認定
相手の事を攻撃する人は底辺の人と認定している。
自分と考え方が違うとか、自分の周囲の価値観に同調しない事を理由に相手を攻撃して、力づくで従わせようとするバカは悲しい事だが本当に多い。
自分はこのような人をハッキリと言葉に出して”底辺の人”と名指しで呼ぶ。
以前から8億回は言っている事だが、生まれ育った家も出身地も学校も付き合う友達も読んだ本も、親の職業や友人の職業も、、、何もかも違う人が共有できることが1つでもあればそれは奇跡だ。
違う事が当たり前なんだ。
あなたの常識はあなただけのものであって、普遍的なものではない。物理学者のアインシュタインも『常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない。』という言葉を残している。
頭の良い人はこれらの事を理解できるので自分と違う相手を攻撃することはない。
しかし、逆は止められない。
わかりやすく知恵を振り絞って攻撃する人に説明したところで
『バカでもわかるように説明に工夫をしても、そもそもバカは話を聞いていない。』とい現象が起こる。
日本人の多くは、周囲と同じでありたいと願い、同じように振る舞おうとします。自分だけが違うというのは、周囲から浮くのではないかという恐怖を感じるからです。
ハブられないようにみんなと同じでありたい。同じであることで一体感を得ようとするのです。だからそういう人は、自分と他人の違いを認められません。「同じ」であることを確認して安心したいからです。
そして、そういう「ひとりひとりは違っていいんだ」と思えない発想を、周囲にも押し付けるようになります。それはお互いの違いを認めないという発想であり、だから自分の考えとは異なる人を見つけるとイライラします。
彼らは周囲に同調することが大事です。すると自分の価値観よりも社会の価値観を優先しようとします。そしてそれは「べき」という自分を縛る枷になります。
あるじゃん(All About マネー)
「変わり者」のほうが金持ち体質である理由
他人と深入りせず
頭が良い人と頭が悪い人では非常に残念な事であるが、圧倒的に後者が多い。
ちょっと考えればわかるような事ですら、考えることを放棄している人がなんと多い事か。
自分は引越しするたびに自治会トラブルに巻き込まれているが、言われることは大概どこも同じだ。
・引っ越したら自治会には入らないといけないと法律で決まってる
・うちはいい自治会だからこの地域は全員が入ってる
・でも、あんた1人入らない事を認めたらそれじゃうちも、、、と次々に辞めて行ってしまう
・その場合責任とれるか
・もし入らないのなら嫌がらせする
といった具合だ。
こういう人達は頭がとても悪く、全く相手の話を聞いていない。
相手に被せて話すのみだ。
しかし、それは相手が18歳までにかき集めた偏見のコレクション。
自分の偏見のコレクションには『自分の将来の年収は付き合っている人の平均になる。これには例外が無い。』というものがあるので、相手を攻撃する底辺の人とは関わらないようにしている。
自分と相手は違って当たり前。
相手の好きな物を否定するのは論外。
他人は他人、自分は自分。
嫌なら関わらなければ良いのです。