昔は車好きだと自負していたものの。
人の欲望は際限がない。
1つ満足するとまた次から次へと新しい欲望が湧いてくる。
確かに経験上それは正しい面が多い。
しかし、長年ずっと好きだった車に関しては欲しい車が手に入り、他にも幸せがあるとそれ以上の欲が無くなる事が判明。
際限ない欲の発生源
際限なく欲望が湧き出てくる一番の原因は
『他人にどうみられるか等、人に対して意識が強い事』
ではないだろうか。
社会に長く出ていると特に日本人の場合は周りを気にして気にして気にしまくる。
サラリーマン時代
『なんでこんな暑いのにそんな冬スーツ着てるの?』
と聞いたら同僚の多くは
『他の社員が皆冬スーツが多いので、暑いけど我慢して着ている。』
のだそう。
例えば普段関わっている仲間がみな国産スポーツカーに乗り換えた。するとコンパクトカーに乗っている自分だけ仲間外れだ。もう寝ても覚めてもそれしか考えられない。
そしてスポーツカーへ乗り換える。
そして時間が経つと今度は仲間が輸入スポーツカーに乗り換え始めた。
1人また1人と輸入スポーツカーに乗り換えて、自分も輸入スポーツカーに乗り換えないと居ても立っても居られない。
ハーレーの電飾も車の電飾も、自分だけノーマルだと疎外感を感じるらしい。
他人と比較していると常に他人の流行に振り回される。
自分は他人の影響を受ける事がほぼないため、誰かが何か買ったとか、何か言ったとかで気持ちが動くことがない。
普段頻繁に会う同僚も仲間もいないので、常に自分の興味ある事だけに興味が向いている。
昔から好きな車は音の良い乗り物で、最近好きになったのは家族で安全に快適に出かけられる車だ。
青春時代に買えなかった車が一番の憧れの車
今発売されている最新の車ではない。
自分が極貧時代に憧れて、ショールームの外側からのぞき込んでいた車こそが自分の目指す車なんだ。
特に自動車に関しては見た目も勿論だが、何より重視するのはその排気音だ。
だから規制が強まる前のエンジンサウンドが大好き。
F1も2013年まで毎年必ず見に行っていたのだが、13年を境にV6ターボにレギュレーションが変わったのでそれ以降一度も行っていない。
レースとしてみれば面白いのかもしれないが、F1に求める物はあの鳥肌が立つようなNAサウンドのみなので、誰が勝つとか負けるとかどうでもいい。
まとめ
以前は1日13時間くらい車の話をしていたのだが、子どもが生まれてからは車の話をすることはほとんどなくなった。
実際、今は車に興味もない。
他人と比較する事を辞め、純粋に自分自身に向き合うと本当に自分が求めている事が見えてくる。