自分が見る目が無いのも原因なのだが。
やってもらったらお返しするのは自分の中の常識と思って生きていたのだが、ここ何年かは全然違う価値観の人に多く出会い、多少疲れを感じる。
同じ価値観の人同士付き合っていれば問題ないのだが、普段の生活で同じ価値観の人に出会わないのが悩みの種。
貰ったらお返し、奢ってもらったら次は奢る
相手にお祝いだったり何かを貰ったらお返しをする。
ご飯でも飲み物でも奢ってもらったら次回は自分が奢る。
自分の中ではごく自然な事だったのだが、最近はどうも違う価値観の人が多くなってきている様子。
何度会計時支払ってもそれが当たり前みたいな顔している人も多いし、相手の時間を奪っているという感覚が乏しい人も非常に多い。
見返りを求めている自分にも原因があるのだが、自分は神様ではないので他人に無限に尽くす事は出来ないし、その必要もない。
そうでない価値観の人も勿論いると思うのだが、結局周りに集まってくる人物はそんなのばかりなので、最近では結構警戒して、極力他人と深入りしないようにしている。
ところで先日、夜中にスーパー車好きの知人と話していた。
凄い台数を所有する車好きの方なのだが、ガレージを撮影に来たユーチューバーがそれである程度の収益を上げても特段何かお礼をするわけでもなく、その上に別の面倒な取材案件も無償で依頼して来る始末だと話していた。
『今はそんな人多いよ~。』
と苦笑いで話していた。
まずは与える。
返してくれる人とだけ付き合う。
これは以前教わって大切にしている事だが、与えて戻ってこない事が数十回続くと自分の見る目に自信が無くなってくる。
人生の悩みの9割は人間関係という事実
多くの人が人間関係で悩んでいる。
自分が上記に書いたものだって立派な人間関係ネタである。
これらからわかるのは、人は多くの人と出逢い関わる中で、それまで培ってきた常識や価値観が他人と衝突し、そこで心をすり減らすという事である。
理想を言えば相手に求めない器の大きさだったり、人間性を向上させて細かい事を気にしない人間になれという事になるのだろう。
しかし、自分のような小市民には無理なのでなるべく他者には深入りせず、距離を取る事で平和を保っている。
先日もまたどうでもいいような業者に大迷惑をかけられ、自分の非を認め謝罪をしたいと言って向こうからやってきた。
結果、ひたすらに自分の正当性を訴えて帰って行った。
謝罪=謝るもの
の価値観を持つ自分と
謝罪=自分の正当性をアピールするもの
の40代の溝は一生埋まる事はないだろう。
日本人の平均年収は下降の一途を辿ると聞くけれど、こういう人間性の低下も原因の1つなのではないだろうかと”謝罪”を終えて、そそくさと帰っていくボロボロのコンパクトカーの後ろ姿を見て思うのである。