最近ipadがただのおぼん化している我が家。
人は皆全てが違う。
顔も体も心も生まれ育った環境も。
しかし結局のところ、どんな人生を今後歩んでいくかはその人の気持ち次第なのである。これは経験上、断言できる。
10年前にフェラーリレーシングデイズに行った時の事
10年位前にフェラーリレーシングデイズに行った時の事だ。
その頃は自分はまだ若く人に誇れるものは何も持っていなかった。
しかし、車の免許は持っていてとりあえず何か動く乗り物は所有していた。
フェラーリレーシングデイズは本来はオーナー向けイベントだが、一般公開もされていて自分のような非オーナーでも数千円の入場料を払って入場することが出来る。
サーキットでF1マシンやFXXなどのレアモデルの全開走行を見る事が出来、その迫力に圧倒されたものである。
しかし、実はここでそれ以外に印象的だったことが2つある。
入り口の駐車場案内は2つに分かれていたのだ。
・フェラーリ社製のお車にお乗りの方はこちら
・その他のお車にお乗りの方はこちら
非オーナーであるために別の駐車場を案内されてそちらへいったのだ。
そして中に入ると自分よりも若いフェラーリオーナーが何人も、カワイイ女の子を連れて会場内を歩いているではないか。(ゲストパスのようなものを下げているのでそれで判別可能)
それを見て、同じフェラーリのイベントに来ていてもオーナーとして来ている人と非オーナーとして来ている自分にチャレンジャー海溝並みの溝を感じた。
その想いがあってから、どうしたら自分もフェラーリオーナーになれるのか、今の自分でもできる事でどんな事があるだろうかと必死に考えるようになった。
そして今がある。
乗れていないが。
一応30歳までにフェラーリを購入すると決めて、30歳の誕生日月に購入している。購入したのはフェラーリ360の6MTだ。
何度も夢にまで見たフェラーリ。
自分の車のハンドルに跳ね馬のロゴがついている感動は忘れない。
人生は見ている方向へ向かっていく
スノーボードや体操競技も皆同じだが、体は『見ている方向へ動いていく』特性がある。回転系の技を行う時は常に先へ先へと見ていくのである。
途中で怖くて下を向いたりすると、頭から真っ逆さまだ。
人生も全く同じだ。
フェラーリを買おうと決めて以来、フェラーリが買える可能性がある仕事以外には興味が無くなった。自分がそうなりたいと本当に思っているから、そうなれる可能性があると判断した事しかやらなくなった。
自分の場合はフェラーリだったのだが、目指す業種があったり好きな人のためだったり、家を買うためだったり動物を飼うためだったりと、目標は人それぞれだ。
みんな違っていい。
本当にそうしたいと思っていると自然とそっちに向かっていくものなんだ。
ちなみに今は車は飽きて、時間と家族が一番大切だ。
自分の中の『時間を奪うもの』を徹底的に排除して、夏以外も宿題のない夏休みが永遠に続くように常にアップデートしている。
人はなりたい姿になることが出来る。
それは心掛けで決まる。
誰にとっても大切な一度きりの人生。
お互い後悔のない人生を過ごそう。