買えないけれど。
妄想は自由である。
昔は『この車いいなぁ。いつか乗れるようになりたいなぁ。』
と思ってよだれを垂らしながら見ていた車は、赤や黄色の2人乗りのスポーツカーやスーパーカーだけだった。
それが今では当時は見向きもしなかった車に対象が変わっている。
大人になってわかるようになった高級車の魅力。
高級セダンの存在意義が分からなかった若者時代
自分が20代前半の頃は自分の中の高級車の代名詞はフェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェであり、そこに高級セダン等が入り込む余地は一切なかった。
むしろ、中古車でも1000万円も出せばあれだけカッコイイ赤や黄色のスーパーカーが買えるのに、同じ金額で”おじさん車”にしか見えない高級セダンを買うなんて全く理解できない!!
あれじゃ全然目立てないじゃないか。
周りも誰も高級車なんて気づかないし!!
値段を伝えたら『こんな車がそんなにするの~?!』
と言われるのではないか。
大げさに言うとそういう心境だった。
そんな、いきり立ってアソコを出して歩いていた性年時代はランボルギーニを持っている知人がベントレーを増車したというので見せてもらっても、同伴者曰く
『ベントレーに対してあまりに興味がなさそうで自慢している方が気の毒に見えた』と言わせるほど。
それほど興味が無かったのだ。
やっぱり目立ちたいとか注目されたいとか成功者に思われたいという浅はかな考えは、当時年収が80万円位だった自分には確実にあった。
そんな自分にとって、素人目に高級車とわからないし対して見た目もカッコよくないラグジュアリーセダン等は、全く持って興味の対象外だったのだ。
今見てもカッコイイが、当時はこんな車”のみ”が自分のスーパースターであった。
ガンディーニデザインのディアブロのような名残が残っており、とても魅力的な車であることは間違いない。
最近はラグジュアリーで目立たない車が気になる
ユーチューバーだったり芸能人だったり、有名であることが利益につながる人は目立つに越したことはないのだろう。
これが自分達一般人になると話は別だ。
多くの人に注目(監視)され、揚げ足取りの的になり、誹謗中傷の的になるのはなるべくなら避けたい。すると、これ見よがしな高級スポーツカーやスーパーカーよりも”興味ない人には大して高そうに見えない車だけど中身は超一流”という車がぴったりフィットする。
それに、スーパーカーは当然走りや見た目に全てのベクトルが向いている事に対して、ラグジュアリーカーはその名の通りラグジュアリーに方向がむけられ、移動をこの上なく快適にする車だ。
家よりも車にいる方が静かで快適という事も起こりうる。
自分には家族が増えたことも大きい。(これが一番)
大抵のスーパーカーは2人乗りだ。
興味ない人には自分がそうであったように”ただのおっさん車”で結構。
そういう人の注目を引かない事も性能の1つなんだ。
人が主役か車が主役か
静かで快適。
でも実はそこら辺のスポーツカーが真っ青になるほど速い。
だけど、そのパワーは全力でわめき散らして走るためのものではなく、あくまでアイドリングに毛の生えた程度の回転数で全ての道を静かに走破するためのものだ。
スポーツカーやスーパーカーで海沿いを走る。
最高に素敵な時間だが、この場合自分にとって主役はスポーツカーでありスーパーカーだ。
自分が好きなスポーツカーは大抵騒々しく、助手席の人とも怒鳴り合わないと会話できない。生ガス臭く、サスの突き上げでコーヒーを股間にこぼす。
ルーフが低いため沈みゆく夕日もよく見えない。
車から降りた後は騒々しいサウンドにより耳鳴りが続いている。
それに対してラグジュアリーカーは最高の舞台と最高級の舞台演出装置だ。
主役は人であり、打ち寄せる波の音も潮の香りも存分に味わうことが出来る。
海岸沿いのキレイな夕日を眺めながら、最高級のオーディオで好きな音楽を流して駆け抜けるのだ。
最近はそこまで車に興味が無いのだが、でも何か調べるとしたらラグジュアリー系の車の事ばかりだ。
オジサン車上等。
わかる人にだけわかれば良いという車だが、別に誰にもわかってもらえなくても問題ない。
対象は自分達だ。
ロールスロイスドーンのインテリア。
以前知人の元に新車オーダーしたドーンが届いたのを納車日に見に行った事があるのだが、心底羨ましいと思った。自分には無理。
ベントレーも同じく。
ロールスロイスやベントレーに限った話ではなく、ベンツならSクラス、アウディなら8、BMWなら7シリーズといった感じで興味の範囲は広い。
いずれにしても買えないが、これらの車を自分ちのインテリアと同じにしてオーダーするとかも憧れる。
その場合は内外装白で赤い差し色かな。
漆喰塗りのボディはどうだろうか。
ダメだ、岩石カーになってしまう。
画像はCORNS公式ホームページより