見えてハッキリ聞こえる事は簡単。
先日から娘が抱っこという言葉を覚えて一日中『あっこ!あっこ!』と話して、自分の要求を伝える事の楽しさを知り、元気に過ごしている。
ただ、残念なことにその話を聞いた割と近い関係の人が「それは赤ちゃんが意味もなく発している言葉を大人がそう勝手に解釈しているだけ」と言っていた。
残念。
声にならない声を聞き取るのが本当の子育てではないだろうか。
伝える事の楽しさと伝わる嬉しさ
今朝も昨日も毎日のように『あっこ!』という言葉を使って、抱っこを要求する娘。
すぐに言葉が出てくる時もあれば、なかなか言葉が出てこなかったり”あっ”は言えても”こ”が言えなかったり色々だ。『ウッキ!』と言って夫婦で腹を抱えて笑った事もある。
うちの場合、夫婦2人が保育士なので育児に関してはかなり忍耐強く望む免疫がある。
大人の都合に合わせてではなく、”子どもが話そうとしているタイミング”で言葉が出てくるまで5分10分は勿論、1時間や2時間だって寄り添って、ずっと待ってあげることが出来る。
子どもは全てがゆっくりなのは承知しているので、大人の都合に合わせて途中で切り上げてしまう事はほぼ無い。
実際、子どもが話そうとしているのをうなずいて笑顔で聞いたり、近くで話している顔を見せる事で娘は自ら話せるようになったのだと思う。
そして覚えた『あっこ!』。
自分で覚えて、その言葉を自分の判断で発することによりすぐに抱っこしてもらえれば、自信が付くし自己肯定感も育まれる。
我々も娘が自ら『あっこ!』と話した時は、例え5分だけでも必ず即座に抱っこしてあげる事にしている。
聞き取る姿勢がなければ全てが意味のない言葉に
ペットも子どもも、そして大人だって”意味のない行動”なんて実はそんなにないんじゃないかって思ってる。
何かしら意味や意図があって行動している事がほとんどだと思うんだ。
話の最中、机を指でトントンする人は心理的に変化が起こっている現われだったりとか。
動物の無駄吠えというのもよく聞くけれど、きっとそれも全部無駄吠えではないと思う。
周りの人にはそう見えても、発している動物自身には伝えたい何かがあると思う。
子どもが何か『あぅあぁぁ、、、』って言っても、それは何かを伝えようとしているのかもしれない。でも、聞き取ろうという意志のない人には一生意味のない言葉だ。
例えば、そんな人が自身が勤める会社に対して『賃金を上げろ!!』とストを起こしたところで、聞く姿勢のない経営者からは同じ意味のない行動なのである。
話す事よりも聴くことの方が大切。
だから口は1つだけど、耳は2つあると誰かが言っていた。
相手の立場に立って考える
話は元に戻って自分の娘はまだ2カ月だ。
歩くことはおろか、寝返りを打つことすら出来ない。体も思うように動かせないし、舌も上手に動かせないので、話せる言葉も『あいうえお』の母音がほとんど。
そんな中で一生懸命パパとママの口の動きを真似して、それに近い言葉を発しているのだ。
それを汲み取ってあげるのが我々の役目。
そもそも体の発達からもハッキリ発音なんて出来るわけがない。
子どもが話すことを否定する理由は”自分の子どもはそんな頃に話さなかったから”、というのが理由らしいけれど子どもに個人差もあるし、子育ての環境も全く違う。
対象が大人でも子どもでも、動物でも植物でも、相手の立場になって考えて行動することが思いやりだと思う。