相手に感謝できない友達など不要。
他人と関わっていて楽しい思いをする事も、悲しい思いをする事も色々だ。
しかし、付き合う人を選ぶことは出来る。
俺は他人に思いやりの無い人が大嫌いだ。”ありがとう”の反対は”当たり前”だという話。
それって本当に当たり前??
当たり前って思い込んでることも、実は当たり前でない事ってたくさんある。
身近な話で言えば、
・車持っている人が車出すのが当たり前
・車の所有者がガソリン代全額持って当たり前
・飲み会で飲まなかった人が全員を家まで送るの当たり前
・男だから奢って当たり前
・社会人だから奢って当たり前
などなど。
それって本当に当たり前なのかい??
車を所有している人と車を所有してない人では、車を所有している人の方が年間のコストはかかっているのは誰もがわかる事。
それなのに、更に車を出すことが当たり前なのかい??
自分が所有していない(所有できない)事を棚に上げて。
車を出すという事は車の内外汚れるし、場合によっては出かける前後に掃除をする必要だってあるだろう。いつも自分が使いやすいように置いてあるセットを、他の人が乗る用に変更する必要もある。
ガソリンは消費するし厳密にいえば消耗品は劣化する。
他の人を乗せて、大きな荷物を載せれば内装が傷つくことだって。
それなのに、『ガソリン代は車持っている人が出して当たり前。自分の車なんだからみんなで出かける前後の掃除は自分でして当たり前。』
そんな風に思っている人がいたらどうだろう。
価値観は人それぞれなので一概には言えない。
でもね、自分の場合はこういう人は友人にいらないんだ。
ありがとうの気持ちを忘れないようにしたい
逆に自分が車に乗せてもらう側だったらどうするか。
相手が車を大切にしている人であれば尚更、向こうも心が軽くなるような配慮をしてあげたいと思う。
例えば
・ガソリン代は全額持つ
・掃除の費用と伝え余分に包んで渡す
・お菓子や食べ物等、許可なくこぼれる可能性のある物を車内で食べない
・飲み物を買ってかつ相手が車内で飲食してもいいと言っても、こぼれたら大変な物(べとつく清涼飲料水等)は買わない
・疲れたら運転代わってあげる
・特に長距離の場合は寝ないで、運転手が退屈にならないよう話し相手になる
など。
友人は自分の部下ではない。
まして自分が給料を払っているわけでもない。
善意で車を出して運転してくれ、皆の楽しい時間を一緒に作ってくれているのだ。
そんな友人にガッカリする想いをさせたくないし、暖かい気持ちになって欲しいと思うから。最後にお別れするときだけじゃなくて、最初からずっと”ありがとう”を伝えたいんだ。
”ありがとう”の反対は”当たり前”
ありがとうの語源は”有難し”で滅多にないという意味だそうだ。
それが『有難き幸せ』⇒滅多にない親切な事をしていただきました。という意味で使われたのが短縮されて『ありがとう』になったそう。
付き合い始めはご飯を作ってくれた彼女に『ありがとう』と言っていた人も、結婚した今では
”毎日妻が自分のごはんを作って当たり前”
になってないだろうか。
それは間違いだぞ。
また、”旦那さんが外で稼いでくるのは当たり前”
と妻は思ってないだろうか。
それも違うぞ。
毎日でなくてもいいから、時々口に出して言ってみよう。
『いつもご飯作ってくれてありがとう』って。
頭でも打ったの?って心配されるかもしれないが、相手に対する感謝は忘れてはいけないと日々思うのである。