のぶろぐ13。

重症な車バカの道楽ライフ

スーパーカーを所有するという事。

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先日、友人がムルシエラゴを購入したというので遊びに行ってきた。

初期モデルでは20年近くも前の車。

クオリティ云々よりも、そんな古い車がいまだに数千万円もの価格で取引されていることに驚く。デザインだって今でも充分通じるし、時代を先取りしたというか左右されない普遍的なカッコよさにもまた惚れ惚れする。

 

 

 

さて、最近は自動車が売れなくなった、若者が自動車に興味がなくなったと喧しいが過去の歴史を振り返れば至極当然の流れである。

 

当初、誰も自動車なんて持っていなかった頃は今の電気自動車のように車自体、一部の富裕層が持っているだけのものだった。それが大衆化し市民権を得る。世の中の多くの人が手にし自動車を保有することが当たり前になる。

 

そしてその普及とともに企業間の競争が激化し、また進化が高速化し、飽和するところまで来てしまったのだ。

自動車の一つの頂点というか限界を向かえたのだろう。

 

 

腕時計がそうではないか。

昔は一部の人が着用していたものが徐々に普及する。そして、富裕層の時計は差別化された高級モデルとなり、今はそこの部分が趣味として残る。

 

時間など国民全員が持っているスマホで正確に知ることが出来る。

それなのに、そこで腕時計を購入する理由はほとんどが時間を知りたい以外のプラスアルファの要因だろう。

 

時間はズレるしメンテもコストがかかる。それにも関わらず高額な機械式腕時計が存在するのはその最たる例だ。趣味の車とまったく同じではないか。

時計が好きな人は車よりも家よりも高額な時計を購入する人もいる。

 

水深300Mまで大丈夫とか、エクストリームスポーツでもそのまま使えるとか、そんなどうでもいいような付加価値がいっぱい付いている。

これは時速400km/h出せるハイパーカーだがコンビニにチロルチョコを買いに行くことも出来るといっているのと同じくらい、アホっぽい。

 

激しいスポーツでも使えるトゥールビヨンの5000万円の腕時計。

そんな高い時計をスポーツでわざわざ使わなくても、毎回壊れる1000円の時計をつけて100回試合をしても10万円で済むのだ。

 

もはや実用性云々の世界ではない。

 

こうして普及し、基本性能を高められたものは最低スペックでも充分な性能を持つようになる。そうするとユーザーの取る行動は主に以下の3つだと思う。

 

1、所有しない

2、最低限度のものを持つ

3、愛好家が注げるだけの愛情を注ぐ

 

それなので現代の自動車は、腕時計と同じく1番or2番の人が増えただけだ。

これは自然なことだと思う。

 

勿論俺は3番なので今後もいろんな車に乗ってみたい。

 

時々スーパーカーを買う前に『買う事自体がそもそも正しいことなのかどうか考える』という人がいる。

 

考える必要はない。

 

100%無駄だからだ。

 

しかし、人生は無駄があった方が面白い。

 

無駄なことが出来るって素晴らしいことだと思わないかい?

無駄なことに時間や手間をかけて大騒ぎすれば、その行為自体が価値があることに変わると思うのだ。


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